「合理的配慮」という名の沈黙の圧力

看護

「何か配慮してほしいことはありますか?」
面接の場で、そう訊かれて言葉に詰まった。

正直に話せば落とされる。
黙っていれば働けない。

“合理的配慮”って、そういう仕組みだった。


1|「言えば配慮しますよ」の罠

発達障害のある俺にとって、配慮がない職場は“戦場”だ。
雑音がうるさい、指示があいまい、マルチタスクが常態。
そんな環境では、能力を発揮する以前にパニックになる。

だから「合理的配慮」は希望だった。
……はずだった。

でも、実際に就職活動をしてみてわかる。
“配慮を求める”って、ものすごい自己責任を背負わされる行為なんだ。

「困りごとを自分で言えることが大事です」
「どこまで配慮があれば働けるのか、具体的に説明してください」

つまり、何がどれくらい辛いのか、
それを言語化して、資料にまとめて、
相手に納得させる“スキル”が必要になる。

……そんなことができるなら、
とっくに“普通に”働いてるよ。


2|配慮を求めた瞬間、「ややこしい人」になる

「配慮してもらえれば働けます」
そう言うと、企業の態度は一気に変わる。

「それって、周囲との調整が必要になりますよね」
「正直、特別扱いには限界があって…」
「うちでは難しいかもしれません」

結局、求められているのは「何も言わずに適応する障害者」だ。
書類上は障害者雇用、でも中身は“健常者モード”で働ける人。

誰にも迷惑をかけず、空気を読み、
「配慮なんていりません」と笑ってみせられる人間。

つまり、“配慮はいらない”と言えることが、
企業からの「最大の信頼」になる。

……じゃあ、配慮が必要な俺たちは、
最初から門前払いってことか?


3|「言ったことしかやらない」配慮の空洞

いざ就職しても、地獄は終わらない。
配慮をお願いしても、伝えた通りにしか動いてくれない。

「メールの指示は箇条書きにしてください」→OK
「会議の資料は事前にください」→OK

でも、“困りそうな場面を予測して支援”なんて、誰もしない。
人間関係で孤立してても、タスクの割り振りで無理が出てても、
「それは本人が言わなかったので」とスルーされる。

合理的配慮の原則は「本人申告ベース」。
つまり、沈黙した瞬間、支援はゼロになる。

でも、発達障害の特性って、
「困ってることがうまく言えない」ことじゃなかったか?

言えない奴が悪いのか?
言われるまで放置する社会が正しいのか?

……どっちにしても、黙った方が“楽”になる。


4|「感謝を忘れないでくださいね」の呪い

「私たちは、制度にのっとってきちんと配慮しています」
「この会社は、障害者雇用に理解があります」

それは確かにありがたい。
でもその裏には、いつもこんな言葉がついてくる。

「こちらも努力してるんですよ」
「お互い様で、歩み寄りましょう」
「感謝の気持ちを忘れないでくださいね」

……つまり、「配慮を受けたら、感謝して当然」って話。

配慮は“権利”のはずなのに、
実際は“恩恵”として扱われてる。

そして、その恩恵を口に出して要求すると、
「図々しい」「甘えてる」「周囲のことも考えろ」

言えば責められ、
黙れば潰れる。
それが今の、合理的配慮の現実だ。


5|「普通にしていればいいのに」と言われた夜

配慮を求めなかった日々。
苦しくても、無理をして、
“普通の社員”のフリをして生きてきた。

ミスが出たら、俺の努力が足りない。
休みたくなっても、「周囲に迷惑をかけるな」と自分に言い聞かせた。

そうやって働いて、倒れて、
ようやく「配慮が必要です」と伝えたとき、
上司はこう言った。

「そんなに大変だったんだ。
 でも、今まで普通にしてたじゃない。
 それが一番よかったんじゃない?」

俺の“普通のフリ”は、
ただの“誤解”として処理された。

そして、俺はまた口を閉じた。
配慮はもう、いらない。
……いや、求める気力が、もうない。


こうして俺たちは、誰にも配慮を求めず、
配慮が必要な自分を否定しながら、
静かに職場から、社会から、フェードアウトしていく。

誰も責めない。誰も騒がない。

配慮という名の沈黙の圧力に、
俺たちは今日もまた、壊されていくだけだ。

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