「同じ発達障害」でも、天と地ほどの差がある現実

看護

1.活躍してる“発達障害”の華やかな例
SNSを開けば、「発達障害だけど大手でバリバリ働いてます!」とか、「特性を活かして独立しました!」みたいな眩しい投稿がズラッと並んでる。資格を山ほど持って、要領よく成果を出せるタイプ。周りから「障害を強みに変えたすごい人」って称賛されて、講演会にも呼ばれる。
正直、同じ「発達障害」って言葉を使うのがバカらしくなるくらい、世界が違うんだよ。彼らにとっての特性は“武器”。ミスや空気の読めなさすら「ユニークな個性」で許される。周りがうまくカバーしてくれるから、むしろ輝いて見える。

2.一方で、俺みたいなのがいる
現実はさ、そんな光の部分ばかりじゃない。俺なんかはその逆側。履歴書を出しても返事はなし、やっと拾われても「簡単な事務」や「補助的な作業」ばかり。スキルも資格もないから、そもそも勝負にならない。
特性だって「武器」なんかじゃなくて、完全に「足かせ」。マルチタスクを求められると頭が真っ白になって、締切を守れず「またかよ」ってため息をつかれる。空気読めない発言をしたら、場が凍って、次の日から誰も話しかけてこない。気づけば孤立。

3.「働ける」けど「居づらい」
一番きついのは、「就職できない」よりも、「就職できても居づらい」って状況だ。最初は歓迎ムードでも、数か月すれば無能扱い。電話応対一つで詰まって、「こんなこともできないの?」って視線が突き刺さる。周りのスピードについていけず、「足を引っ張る存在」として腫れ物扱い。
直接「辞めろ」とは言われない。でも仕事を外され、会議からも外され、「あなたの負担を減らすためだから」なんてきれいごとで追い詰められる。結局、自分から辞めるしかなくなる。

4.同じ“発達障害”なのに、なぜ差が出る?
答えはシンプル。社会が求めてるのは「戦力になる発達障害者」だけだから。特性をうまく使える、学歴やスキルがある、メンタルの波が少ない。そういう“扱いやすい人”は企業に重宝される。でも、そうじゃない奴は最初から席が用意されてない。
「多様性の時代」とか「合理的配慮」とか、きれいごとばかり言われてるけど、実際は“選ばれる障害者”と“切り捨てられる障害者”の二極化が進んでるんだよ。俺みたいなのは、後者。

5.最後に残るのは“同じじゃない”って現実
結局さ、「発達障害者だから理解される」なんて幻想だよ。同じ診断名でも、片方は称賛され、もう片方は居場所をなくす。俺は後者で、何度転職しても同じことの繰り返し。
「頑張れば報われる」って? 頑張る気力なら、もうとっくに使い果たした。でも努力の成果なんてどこにも残ってない。残ってるのは、また辞めた職歴と、減っていく貯金と、社会から置き去りにされていく感覚だけ。

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