「“履歴書の書き方”より、“生き延びる方法”を教えてほしかった」

看護

1. 支援って、なんだったんだろうな

「次はこの求人に応募してみましょう」
「職務経歴書のこの言い回し、いいですね」
「空白期間は“自己研鑽”って表現してみましょうか」

──毎日、支援員と一緒にパソコンを前に座って、書類を書いてた。
書いて、直して、また書いて。
書いても書いても、書類はどこにも届かなかった。

最初の頃は、「俺にはまだ足りないんだ」と思ってた。
履歴書の言い回しが下手だから。
志望動機に熱意が足りないから。
空白期間の説明が甘いから。
……でも、何十社出しても落ちるうちに気づいた。

書類じゃないんだ。
俺の存在自体が、最初から“書類選考落ち”だったんだ.


2. 「生き延びてるだけでも偉い」って誰かが言った。でも、それじゃ雇われない

支援員は、優しい人だった。
「焦らなくていいですよ」って言ってくれた。
「まずは生活リズムから整えていきましょう」って言ってくれた。

でも──
それで雇ってくれる企業、どこにあった?

週5で通所できました。
朝起きられるようになりました。
服薬と通院、安定してます。

それは“生きるため”の訓練だった。
でも、就職市場で必要なのは
“使えるかどうか”の訓練だった。

つまり、俺が身につけたのは“命をつなぐ力”であって、“採用される力”じゃなかった。
面接官はそんなの見ない。
評価しない。
求めてない。

「生きてただけじゃダメなんですよ」
社会は、そう言ってくる。


3. 合理的配慮って、ほんとに“配慮”だったのか?

就職活動の終盤、支援員に言われた。

「診断書を添えて、“合理的配慮”を希望する形で応募してみましょう」
「企業側も今は制度整ってますから、大丈夫ですよ」

──で、出した結果が、書類落ち、書類落ち、また書類落ち。

空白期間+障害告知=爆弾。

合理的配慮って、結局は“できないことのリスト”なんだよ。
「私はこういう配慮がないと働けません」って言うことは、
「この会社では通用しません」って宣言するのと同じ。

しかも、配慮をお願いしたって、それが現場に通る保証はない。
制度だけはある。
でも、制度を使った時点で、雇われなくなる。

それが現実。


4. 生きることと、働くことが、別物すぎた

“生きる練習”と“働く訓練”は、まったく別のものだった。

俺が支援施設で身につけたのは、
・時間通りに来る
・薬を飲み忘れない
・無理をせず、自分の限界を知る

でも、企業が求めてたのは、
・いつでも急な依頼に対応できる
・マルチタスクで臨機応変
・体調不良でも「自己管理」として処理

──つまり、矛盾してた。

支援者が言う「無理しないでね」は、
職場では「無理が利かない奴」として処理される。

命を守るやり方と、会社で生き残るやり方は、まったく違う言語だった。

どちらも完璧にやれと言われて、俺は壊れて、何もできなくなった。


5. だから俺は、もう書類なんか書いてない

今はもう、履歴書なんて書いてない。
職務経歴書も開いてない。
求人票を見ても、何も感じなくなった。

俺が本当に必要だったのは、“履歴書の添削”じゃない。
“どうすれば社会で死なずにいられるか”という、生き延び方の訓練だった。

「ここが向いてそうですね」って紹介された仕事で、
俺は3ヶ月でメンタルを潰した。
でも、辞めた後に行く場所はなかった。
「働けた実績があるのに、なんで戻ってきたんですか?」って言われた。

俺は、失敗者として戻された。

だからもう、何もしたくない。
書類なんか書かなくても、今日生きてるだけで精一杯だ。


終わりに:俺たちは“働くため”に支援されてたんじゃない。“壊れてもいいように”支援されてたんだ

気づいたんだ。
あの支援は、“就職のため”じゃなかった。
“壊れても、責任が取れないから”、最低限のケアをしてただけだったんだ。

だって、就職後に潰れても、支援機関は「卒業扱い」で関与しない。
再び壊れた人間は、また別の制度に振り分けられる。

そうやって、支援は循環する。
俺たちは、壊れないためじゃなくて、“壊れても戻ってこられる仕組み”の中にいるだけなんだ。

希望なんかない。
でも絶望しても、何も変わらない。
だから俺は今日も、生きてるふりをして、布団から出てる。

──それが、“今の俺にできる最大の努力”だ。

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