【支援の格差】「見捨て方にもバリエーションがある」

看護

1. 「優先度を下げられる」

「支援は平等です」と言うけれど、本音を言えば違う。
支援員は忙しい。だから、限られた時間と労力を“伸びる見込みがある人”に使う。

「この人は企業からの評判もいいし、書類も通りやすい」
「次の実習も決まりそう」
そんな人は、週何度も面談を設定されるし、企業訪問も一緒にしてもらえる。

俺は?
「また来月面談しましょう」
「じゃあリワークで生活リズムを整えましょう」
後回し。優先度を下げられる。それが最初の「見捨て方」。


2. 「抽象的な目標設定だけ」

支援計画書に書かれる目標が、やたらとフワッとしてる。
「自己理解を深める」「安定した生活リズムを維持する」
要は具体的な求人紹介も企業実習も、当分やる気がないってこと。

支援員も「まだ就活フェーズじゃないので」と言う。
でも、実際には同じ月に別の利用者が企業面接に呼ばれてる。
こっちはずっと自己分析シートを書かされてる。
“あなたは就職する準備すらできてませんよ”って暗に言われてるのと同じ。


3. 「担当者が変わる」

突然「担当替えをします」と言われる。
理由は「多角的な支援をするため」とか「新しい視点で見直すため」。
本当は、手に負えないと思われたから。

新しい担当も結局「これまでの経過をもう一度教えてください」
ゼロから説明。
それだけで数週間は過ぎて、求人紹介どころじゃない。
結局、放置される時間が伸びるだけ。


4. 「他機関に紹介される」

「うちで対応しきれない課題があるので」
そう言われて別の支援機関を勧められる。
「福祉サービスの幅を広げましょう」「専門的な支援を受けましょう」

でも現実は、「ここでは面倒見切れません」ということ。
転所すれば最初から人間関係を作り直し、また生活面談からやり直し。
その間に歳だけ取って、履歴書のブランクが増える。


5. 「言葉は優しいが中身がない」

「焦らなくていい」
「君のペースでいい」
「大丈夫、責めてるわけじゃない」

支援員は責めない。怒鳴らないし、暴力も振るわない。
でも求人を紹介しなくなる。企業実習も声をかけなくなる。
「この人には現実的じゃない」という判断を、優しい言葉で包んで告げる。

「君のためを思って」という仮面をつけた拒絶。
気づけば、就活の話なんて誰もしてくれなくなる。
俺も、自分から求人をお願いするのが怖くなる。


6. 「結局、自己責任にされる」

「やれる範囲はやったんですけど」
「ご本人の意思が…」
「生活リズムが安定しなくて…」

支援員は会議で説明する。
当事者の俺は、「支援を受けきれない人」とされる。
制度上は“支援を提供した”という実績が残る。
でも、俺は就職できないまま。


7. 「見捨てられた自覚だけが残る」

就労移行支援を卒業しても、就職は決まらない。
見送り、担当替え、転所、フェードアウト。
方法はいろいろあっても、ゴールは一緒だ。

「もう俺には声をかけてもらえない」
「誰も求人を探してくれない」
「自分から言い出す気力もなくなった」

これが、“見捨て方のバリエーション”。
支援は平等じゃない。
助けられる人と、そっと切り離される人がいる。
俺は後者だった。


「就労支援は最後の砦」なんて言われるけど、その砦には門番がいて、入れる人間と、追い出される人間がいる。
俺は追い出された側だ。

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