
1.「履歴書を何十枚書いたか、もう覚えてない」
書いたところでどうせ落ちる。
わかってるのに、まだ書く。
履歴書を量産する日々だ。
志望動機はコピーしたような言葉しか出なくなる。
「御社の理念に共感しました」
「障害者雇用で長く働きたいです」
本音は「雇ってくれ」だ。
「何でもする」「最低賃金でもいい」「雑用でも構わない」
でもそんなこと書けないから、嘘みたいな言葉で白紙を埋める。
ペンを持つ手が震える。
何十回も落ちた経験が、ペン先にまで染みついてる。
あの「残念ですが」のメールを、また開く未来が透けて見える。
2.「障害開示は、自分を安売りする儀式だった」
障害者雇用って、誠実に伝えれば伝えるほど落ちる。
「合理的配慮は何が必要ですか」
「波はどのくらいですか」
「発作や寝込む日はありますか」
正直に言ったらアウトだ。
「配慮が重い」「リスクが高い」
「ウチでは無理です」
だからみんな嘘を混ぜる。
「大丈夫です、最近は落ち着いてます」
「薬も効いてて支障はないです」
「多少の残業も平気です」
──嘘をつかないと面接すら通らない。
でも嘘をついて入ったら、バレた時点で終わる。
「自己管理ができてない」
「誠実じゃない」
「期待外れだった」
障害者雇用って何なんだろうな。
「障害者枠」という言葉の外側に、障害者をふるい落とすための網が張り巡らされてる。
3.「落ち続けると、人格まで壊れる」
10社目までは「運が悪い」って思った。
20社目までは「俺が悪い」って思った。
30社目からは「俺はもう人間じゃないのかもしれない」って思うようになった。
面接のたびに「自分を売り込め」って言われる。
でも売り物になる部分が、もうない。
面接官の表情もわかる。
「こいつは違うな」っていう空気がすぐに出る。
障害者枠でも「障害は軽い方がいい」に決まってる。
支援者だって本音ではそう思ってる。
だから落ち続けると、自分の障害だけじゃなく人格まで否定された気になる。
「存在自体が要らないってことだろ」
「この国に俺の居場所はないんだろ」
面接に呼ばれても嬉しくなくなる。
「また落ちるのに交通費無駄だな」
「また自己紹介で恥を晒すのか」
心を殺さなきゃ続かない。
でも心を殺すと志望動機が言えなくなる。
「御社に入って何がしたい?」
「──生きたいです」なんて言えないだろ。
4.「支援者も味方じゃない」
就労移行、ハローワーク、地域の障害者就労支援センター。
どこも「親身です」って顔はする。
「焦らなくていい」「あなたのペースで」
でも現実は違う。
彼らは成果を出さなきゃいけない。
「就職件数」が成績表だ。
だから決まりそうな人を優先する。
「波が安定してる人」「若い人」「障害が軽い人」
俺みたいに「波があって薬が増減して休職歴もある中年」は「難しい人材」扱いだ。
表向きは優しい。
「書類添削しましょう」「面接練習しましょう」
でも内心は「落ちるだろうな」って思ってる。
それが伝わる。
表情、声色、選ぶ言葉。
支援者にすら見捨てられる予感がする。
「最後は自己責任でお願いします」
あの言葉を言われる未来が、もう見える。
5.「家族にももう言えない」
落ちたってことを、親には言えない日が増えた。
「どうだった?」って訊かれるのが怖い。
「またダメだった」
「頑張ってるんだけどね」
言ったら親も黙る。
気まずい空気が刺さる。
親だって高齢だ。
年金暮らしで、俺を養う余裕なんかない。
「いつまでこのままなんだろう」って顔に書いてある。
最初は「大丈夫、なんとかなる」って笑ってた。
今は「就労移行はどうだ」「障害年金は?」
だんだん「生活保護もあるんじゃない?」
そうやって追い詰められる。
俺も追い詰める。
親の老後を食い潰して生きる自分が気持ち悪い。
「死ねば楽になるかな」って何度も考えた。
でも実際は死ぬ勇気もない。
死ねないから、明日も履歴書を書く。
6.「制度も役所も社会も、俺を要らないって言う」
障害者雇用で落ちる。
一般雇用でも落ちる。
ハロワは「たくさん受けてください」。
就労移行は「波があると難しいですね」。
精神科は「薬を飲んで安定を目指しましょう」。
生活保護は「まだ若い」「親と同居できるでしょ」。
年金は「初診日が証明できない」「更新は厳しい」。
どこもかしこも「働け」「でも雇わない」「支援もしない」。
「死ぬなよ」だけは全員言う。
でも「生きろ」とも「働け」とも「養う」とも言わない。
「お前は要らないけど、勝手に死ぬなよ」
そのメッセージが社会全体から降ってくる。
それを浴びながら、今日もハロワで求人票をめくる。
「障害者雇用」「応募資格:特になし」「ただし経験者優遇」
──経験ってどこで積めばいいんだよ。
7.「自己責任、甘えるな、努力不足」
最終的にはこの言葉で殴られる。
「お前の努力不足だろ」
「甘えるな」
「自己責任」
障害のせいにするな、って言われる。
でも障害がなくても、この年齢、この経歴、この空白、誰が雇う?
障害があるからせめて障害者雇用をって思ったら、今度は「配慮が重い人はちょっと」
「自己責任」は社会の最強の免罪符だ。
支援者も企業も役所も家族も、「俺が悪い」で終わらせられる。
社会は変わらなくていい。
制度も変えなくていい。
面接に落ち続けて、生活が壊れて、精神も壊れて、
それでも「お前の努力不足」。
そう言われて終わる。
俺は今日もまた、落ちる未来しか想像できない履歴書を、机に置く。
終わりに
これが「面接落ち続けるリアル」だ。
生きるために働きたいのに、
働くための扉がどれも開かない。
開いた先も地獄だってわかってるのに、そこにすら入れてもらえない。
「死ぬな」「生きろ」「でもここには来るな」
この矛盾の中で、履歴書を書く手を止められない。

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