【ADHD】“ミスを繰り返す人”にされていく恐怖

看護

──ADHDの脳では、昨日できたことが今日できない


1.一回のミスで、「あの人、注意力ないよね」と言われた

俺はADHDだ。
注意の切り替えが苦手で、頭が散らかりやすい。
でも、仕事を始めたころは、必死に集中していた。
タスクはノートに書き出し、タイマーをセットして、確認を何度も繰り返した。
周囲からも「ちゃんとしてる人」だと思われていた。

でも──ある日、納期を1日間違えた。

メールの確認ミス。書類のファイル名の見落とし。
その一回で、空気が変わった。
「なんでそんな初歩的なミスしたの?」
「え? あの人、意外と注意力ないよね?」

たった1回で、俺は「信用できない人」になった。
それが、地獄の入口だった。


2.繰り返したくないのに、繰り返してしまう脳

ADHDの特性でよくあるのが、「やったはずのことをやっていない」現象だ。
頭の中ではやっている。でも、現実では抜けている。
確認したつもり、送ったつもり、記入したつもり。
けれど実際には、できていない。

俺は毎日、自分の記憶を疑いながら生きていた。
ToDoリストを3重に管理しても抜けるときは抜ける。
優先順位が頭の中で崩れ、突然別の作業に飛んでしまう。

努力はしてる。工夫もしてる。
でも、脳が勝手に“飛ぶ”。

そうして2回目、3回目のミスが続いたとき、
俺は完全に「ミスをする人」「信用できない人」と認定された。


3.“努力すれば防げるでしょ?”という言葉に追い詰められる

「チェックリストを使ったら?」
「同じミス、対策してなかったの?」
「仕事なんだから、もう少し責任持って」

全部正論だ。
でも、もうやってる。全部やってる。
なのに、それでもこぼれるんだ。
脳の中に“穴”があるように。

でも他人から見れば、「工夫が足りない」「甘えてる」に見える。
なぜなら、俺は“普通に見える”から。

障害があるようには見えない。
だから、ただの“やらかし癖がある人”にされる。

支援者にも言われたことがある。
「もう少し慎重にやってみようか」
──慎重に、なんて、もう何百回言い聞かせてるかわからないよ。


4.信頼は失われるのに、「障害ゆえのミス」としては扱われない

一度失った信頼は、戻ってこない。
ただの“ポカ”なら、「誰でもあるよね」で済む。
でも、俺のミスは「繰り返す」。だから厄介者になる。

しかもそれを、「障害の特性だ」とは思ってもらえない。
言えば、「そんなに重くは見えなかった」と返される。
黙ってれば、「ただの不注意な人」扱い。

──どちらにしても、責任は俺にくる。
「発達障害だから仕方ないね」とは、誰も言わない。
言った瞬間に、“その人の責任能力”を疑うことになるから。

だから、俺たちは壊れるまで「全部自分のせい」にして働く。
自己責任論に飲み込まれて、消えていく。


5.「またミスしたらどうしよう」で、脳が先に壊れる

最後の頃には、何をしても「またミスするかも」と怯えていた。
不安が先に来て、手が動かない。
頭は真っ白、脈は速い、汗が止まらない。
もう、ADHDだけじゃなくて、二次障害の不安障害と軽いPTSDみたいになってた。

何かを確認するだけで、体がビクッとする。
「このメール、大丈夫かな…」
「添付ファイル、ミスってないよな…」

そんな状態で働けるわけがない。

結局、辞めた。
「責任感が強くて、追い込んじゃうタイプなんですね」と言われたけど、
違う。追い込んでたのは俺じゃなくて、社会だ。


終わりに:俺のミスは“障害”として扱われず、“人格”として裁かれる

同じミスを何度か繰り返したら、「学習してない人」になる。
でも、ADHDの脳では、“学習しても、反復できない”ということが起きる。

それを「甘え」「気の緩み」「責任感のなさ」とされる。
ADHDは脳の問題なのに、いつの間にか「性格の問題」にされてる。

俺はもう、普通に働ける自信がない。
何かを頼まれても、「どうせまたやらかすかも」という不安が先に出る。
そしてまたミスをして、信用を失って、辞めていく。

──俺はただ、忘れたくて忘れてるんじゃない。
壊れた脳みそで、それでも必死にやってるだけだ。
でもこの社会は、“努力してるかどうか”より、“結果が出せるかどうか”しか見ていない。

また、次の職場でも、同じことが起きる。
それが一番、怖い。

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