
1. 「内定通知は、人生逆転のチケットに見えた」
5年ぶりの就職だった。
支援員も「よく頑張った」と笑ってくれて、面接官も「安心してください、配慮しますから」と言っていた。
「やっと報われた」
この手に掴んだ内定は、人生逆転のスタートだと思っていた。
入社初日、名札を渡され、案内されたのは窓際の小さな席。
「静かな場所を希望されてましたよね」
配慮が行き届いていると、その時は思った。
でも、それが最初で最後だった。
2. 「業務マニュアルに“空気を読む”は書いてなかった」
配属されたのは営業事務の補助。
業務内容は、資料作成、電話の一次取次、社内チャットでのやり取り。
…と聞いていたはずだった。
実際は、営業職の“雑務すべて”だった。
「この資料、明日までに頼める?」「あ、これ急ぎで」
「指示はしてないけど、前の子はやってたよ」
いつの間にか“前任者と同じ動き”を求められるようになっていた。
でも、口頭の指示は曖昧、マニュアルもない。
俺は必死にメモを取るが、あちらは「そんなのいちいち聞かないで」と不機嫌になる。
「空気読めよ」とは言われない。
けれど、空気を読まないと詰む業務ばかりだった。
3. 「“配慮します”は、免罪符だった」
業務ミスが続いた。
理由は簡単だ。指示があいまい、担当が流動的、質問できる雰囲気ではない。
支援機関に相談すると、「企業側も慣れてないんでしょうね」と言われた。
会社側に再度相談しても、「最初に“配慮します”って言いましたよね?」
そう、“言った”だけ。
配慮が形だけで終わっていることを誰も責めなかった。
“努力してない俺”のほうが責められた。
仕事は“慣れればできる”ものらしい。
でも俺は“慣れる前に壊れる”ほうの人間だった。
4. 「“無能”の烙印は、無言で押される」
職場の空気が変わったのは、入社して3ヶ月を過ぎた頃。
口調は変わらない。でも“任される業務”は減った。
何も言われず、誰も近づかず。
朝来ても誰も話しかけない。
自分だけが会話に入っていけない。
気づけば、「〇〇さん、今日は来てる?」と俺の存在すら話題にされなくなった。
指導係だった先輩は別部署へ異動し、新しい担当は「必要あれば連絡くださいね」とだけ言い残して消えた。
それでも形式上は「雇用されている」。
それが“障害者雇用”のやさしさだった。
5. 「心が壊れる音は、誰にも聞こえない」
朝、職場に向かう足が震えるようになった。
通勤途中の電車で涙が出る。理由はわからない。ただ息苦しい。
それでも、契約満了までは頑張ろうと思った。
“辞めたら、次はないかもしれない”という不安だけが、俺を職場に縛った。
だが体は限界だった。
ついに過呼吸を起こし、診断書をもらって休職した。
支援員は「まずは心の回復を」と言った。
でも“次はもっと続けられる場所に行きましょうね”という言葉に、俺はもう笑えなかった。
だって“次”に行ける保証なんて、どこにもないから。
6. 「障害者雇用という名の、透明な牢屋」
「障害者雇用なら安心ですよ」
「配慮があるから続けやすいです」
――そう言われて入社した俺は、
何も言われずに孤立し、何も渡されずに評価され、
「居るだけ」の人間になって、心を壊した。
怒鳴られはしない。叱られもしない。
でも、何も任されない。会話もされない。
“優しさ”に包まれて、静かに腐っていく。
それが俺の得た“合理的配慮”だった。
安心していいよ、と言われたその場所は、
誰にも必要とされない「空白」の席だった。
そこに居続けることが、
なによりも苦しかった。

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