普通にできない俺たちが、“普通に努力”した結果

看護

「お前の努力が足りない」って?
そりゃあそうだ。生き残るには、死ぬほどの努力が要る国なんだからな。


1|「努力すれば報われる」って、どこに報われたやつがいるんだよ

「努力すれば夢は叶う」。どこの小学校でも、卒業文集にも、企業の採用ページにも書いてある。俺も信じてた。信じるしかなかった。でも現実は違った。俺の“努力”は、健常者が涼しい顔でこなす「普通のこと」すら満足にできない脳みそとの戦いだった。時間を守る、整理整頓する、複数のタスクを同時にやる。それら全部が、「できて当たり前」って扱いされる世界で、俺は最初から欠陥品だった。

ADHDとASDのグレーゾーン。診断は出てないから健常者扱い。でも生活は崩れていく。疲れやすくて、同時並行が苦手で、常に脳内が騒がしい。けど「診断ないでしょ?だったらできるよね?」と求められる。こっちは必死に泳いでるのに、溺れてることに気づいてもらえないまま、社会の深みに引きずり込まれていく。


2|できないのは「努力不足」? それ、誰が決めたんだよ

「なんでそんなミスするの?」「ちゃんと話聞いてた?」職場で何度言われたかわからない。人と同じ速度で覚えられない。人と同じ量の情報を処理できない。でも、「障害者じゃない」ってラベルを貼られた以上は、同じ成果を出せってプレッシャーを受け続ける。できないと、「努力不足」「甘え」「責任感がない」と断罪される。俺の脳は別の配線で動いてるのに、説明することすら許されない。

「できない理由」が「努力不足」に変換される瞬間、全ての説明は無力になる。自分のせいにするしかなくなる。「俺が悪いんだ」「もっと頑張らなきゃ」って。でもその“頑張り”が、さらに脳と心をすり減らしていくんだ。努力が報われるんじゃない、努力で壊れていく。


3|支援ってなんだ? 声を上げられない人間はどうすりゃいいんだよ

最近は「発達障害の理解を広めよう」って動きも増えてきた。でもそれ、だいたい診断ついてて、成功してる人の話だけ。「特性を強みに変えて起業!」とか「好きなことで生きていける!」みたいなポジティブストーリーばっかりだ。そんなの、できる人がやればいい。問題は、できない人の居場所がないってことなんだ。

俺は支援機関に行く勇気もなかった。行っても「診断出てないなら自己責任」って空気が漂う。そもそも、声を上げられるエネルギーがあるやつは、ある程度うまく生きていける。声すら出ない人間は、ただ静かに脱落していくだけだ。支援が必要なやつほど支援にたどり着けないって、この国の制度、皮肉が効きすぎてて笑えるよな。


4|「甘え」「努力不足」「自己責任」で片付けられる生きづらさ

お前の人生がうまくいかないのは、お前のせい。そう言われ続けてきた。会社を辞めたとき、生活保護を受けたとき、親に「ちゃんとしなよ」と言われたとき。全部、「努力が足りなかったね」で終わる。でも俺は、努力してたよ。脳が焼けるくらいに。それでも普通のスピードで働けない。普通の生活が送れない。普通の人間関係も築けない。それが現実だ。

それでも「努力しなきゃ」って思ってた。頑張ることで、自分を肯定したかった。けどその“頑張り”で、とうとう壊れた。朝が来るのが怖くなって、布団から出られなくなって、誰とも話せなくなって。それでも「まだ甘えてる」って言われる。俺たちは、どこまで壊れたら、「甘えじゃなかった」って認められるんだろうな。


5|そして今日も、生きてるだけで精一杯

もう希望とか、夢とか、正直どうでもいい。ただ、死なずにいるだけでギリギリ。生き延びるってだけで、俺には相当な“努力”が要る。行政窓口の人も、支援員も、同級生も、親も、「頑張ってね」って言う。でもその「頑張って」が、どれだけ重い言葉か、わかってない。「普通」に「普通の生活」を送れてる人には、たぶん一生わからないんだろう。

そして今日も俺は、安い食パンをかじりながら、支援センターの求人票をぼんやり見て、スマホの通知が鳴らないことにホッとして、誰にも頼れない現実にじっと耐えてる。


これが“努力不足”の末路? 違うよ。これが、“普通”ができない人間が“普通に努力”した末路だよ。

にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 大人のADHDへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

コメント