
1.「おめでとうございます」──本当に、そう言っていいのか
「就職おめでとうございます!」
誰が言い出したのか知らないけれど、
就職が決まったその瞬間、支援員は笑顔でそう言うのが“マナー”になっている。
面接に受かったと聞いた瞬間、周囲が拍手して祝福する。
通所を続けていた仲間たちも、「自分も頑張ろう」と言う。
本人もうっすら笑う──でも、その目の奥にある不安に、私は気づいていた。
「一人で通勤、できるかな」
「休んだらどう思われるんだろう」
「また怒鳴られたらどうしよう」
「何かミスしたら、次はないかも」
就職は、出口じゃない。
むしろ、“使い切られるための入口”になっているケースが、現実にはあまりに多すぎる。
2.就職はした。でも、それは「雇用数」にカウントされただけだった
“雇用率達成のための採用”。
“とりあえず雇った”という既成事実。
“配慮します”と名ばかりの体裁。
実際に現場で何が起きているのか──
入社後、本人から届くLINEは、どれも短くて重い。
「人間関係、怖いです」
「指示がわからないまま怒られました」
「気づいたらシフトが減らされてました」
「辞めたいけど、言えません」
企業に連絡を取れば、「本人の適応の問題です」と言われる。
上司は言う。「何度教えても覚えられない」「注意しても改善が見られない」
合理的配慮の話を持ち出すと、「特別扱いはできませんよ」
──その“できません”の積み重ねが、
人をゆっくりと追い詰めていく。
3.支援者としての“役目”を果たした先で、本人が壊れていく
制度の中で、私たちは「就職」にたどり着くと、“一件落着”になる。
国や自治体の支援事業では、成果は就職数。
つまり、雇われた時点でカウントされる。
本人が定着しようが、メンタルを壊そうが、数としては“成功”になる。
それに、正直言うと──
支援者にも余裕がない。
1人就職すれば、その分、新たな支援対象が入ってくる。
企業からも「次はどんな人がいますか?」と聞かれる。
リソースは限られている。
結局、就職後に苦しむ人のフォローは、最小限にせざるを得ない。
支援者としての“役目”は果たした。
──でも、本当にそれでいいのか?
“壊れるまで働かせるためのパス”を渡してしまっただけじゃないのか?
4.使い捨ての“障害者雇用”に、支援が加担している
「誰でもできる仕事です」
「黙っていてもできる作業です」
「簡単ですよ」
そう言われて案内された職場で、
無言の圧と人間関係と、曖昧な指示と、突然の配置転換が本人を襲う。
職場に“問題がある”と明確にできるケースは、むしろ稀だ。
「そんなに悪い会社じゃないですよ」「本人の適応力の問題でしょう」
だから、辞めたあとの本人の自己評価はこうなる。
「自分がダメだった」
「また失敗した」
「支援を受けても、変われなかった」
──違う。
支援も、制度も、就労の仕組みそのものも、
“壊れたまま”で人を送り出しているのだ。
そして、壊れた人がまた支援機関に戻ってくる。
疲れ切った目で、「また最初からですか」と言いながら。
私たち支援者も、そのループに慣れていってしまう。
5.“就職”は、スタートじゃない。終わりの合図だった
「就職はゴールじゃなく、スタートです」
そう言い続けてきた。
でも実感として、
この社会において“障害者雇用”は、スタートじゃない。
“終わりの合図”になっていることが、あまりにも多い。
企業は、雇ったことを成果として記録し、
制度は、雇用率を達成したことで報告を終える。
支援機関は、1件の就職として実績に載せる。
誰もが“役目”を果たしたことになって、
本人だけが、現場で摩耗していく。
言葉を失い、自己評価を削られ、体調を崩し、
「次はもうないかもしれない」と呟くその背中を見ながら、
私はまた別の人を“就職先”に送り出していく。
これが、
支援者の仕事という名の、静かな加害の繰り返しだ。
終わりに
「支援者として、できることをした」
そう言って、自分を納得させた夜は、何度もある。
だけど、“できたこと”の先で人が壊れていくのを見たとき、
「支援とは何なのか」
「自分は何に加担しているのか」
その問いは、いつまでも消えてくれない。
就職したことで、その人が“社会に戻れた”と喜ぶ声の裏で、
壊れていく人たちの沈黙が、確かにそこにある。
その声なき悲鳴を、
少しでも言葉にして残すことが、
今の私にできる、せめてもの仕事だと思っている。

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