非正規雇用と、その末路についての報告書

看護

ここは、令和ニッポン。
夢と希望とやりがいが、最低賃金で量産されている国だ。
朝7時、コンビニのバックヤードで制服を着ながら、俺は思った。
「今日も俺は、社会の予備兵として、一日を捧げるのだな」と。

■ 希望という名の契約書(3ヶ月更新)

履歴書に「何をしたか」ではなく、「何年いたか」を書きたくて、
派遣会社の面接で「長く働きたい」と言った。
相手の担当者は「やる気があっていいですね」と笑った。
だけど契約書には、たしかに書いてあった。
「3ヶ月更新・更新の可能性あり」――可能性、それは永遠の未定義。

更新のたびに、俺の胃袋は小さくなり、
生活費の皮算用だけが、しだいに膨れ上がっていく。
正社員はボーナスで車を買う。
非正規は満期で失職する。

やがて俺は知ることになる。
「がんばり」は雇用の安定を保障しないし、
「誠実」は給料の額面を上げてくれないということを。

■ “やりがい搾取”という名の収穫祭

俺の知ってる派遣仲間に、元教師がいた。
元保育士、元看護師、元SE、元バンドマン……
みんな「夢」を一度は追った連中だった。

だけど気づけば、安い時給に吸い寄せられて、
冷暖房も効かない倉庫で、段ボールを積み上げていた。
派遣会社は言う。「人材が足りない」と。
だけど俺らは人じゃなくて、“穴埋め”なのだ。

忘年会にも呼ばれず、社内報にも載らず、
退職しても誰にも気づかれない――
それが、俺たち非正規の“日常”だった。

■ 「正社員登用制度」って言うから信じたのに

求人票に書いてあった、「正社員登用あり」の一文。
まるでファストフードの広告の「写真はイメージです」と同じくらい信用ならない。
面談で聞いた。「私はいつ正社員になれますか?」
上司は言った。「うーん、タイミングとポジションの兼ね合いですね」
それから3年。俺はずっと「兼ね合っていない」。

一方で、何も知らない新人が半年で正社員になった。
理由は、上層部の親戚だったからだ。
夢の梯子を登っていたつもりが、
そもそも俺の分だけ、梯子が地面に埋まっていたようだ。

■ “自己責任”という名の呪詛

俺たちがどれだけ苦しんでも、
社会は一言、「でも選んだのは君でしょ?」で終わらせる。

非正規を選んだのは、甘えだと言う。
職を転々としてるのは、努力不足だと言う。
だが俺は問いたい。
週6日、12時間立ちっぱなしで働いて、それでも家賃が払えないこの国に、
一体どれだけの“甘え”があるというのか。

夢を追った先に、待っていたのは自己責任の断頭台だった。

■ “使い捨て”でも、生きてる限りは

非正規であることが、
イコールで「能力不足」や「怠惰」と結びつけられるのが、この国の病理だ。
だが忘れないでほしい。
非正規で働く人のなかには、病気や介護、障害、学歴、経済的事情――
様々な“見えない理由”を抱えている者がいる。

俺たちは、“選んだ”のではない。
“選ばれなかった”のだ。

だけど、使い捨てられても、
今日も俺は朝の電車に揺られ、立ち続ける。
誰にも気づかれず、誰にも称えられず、
ただ「ちゃんと働く」ということだけが、
俺の矜持だ。


終わりに:
この国では、声を上げない者は“存在しないもの”として扱われる。
だからせめて、この文章が誰かの目に触れ、
「こんな働き方、おかしいよな」と、
心のどこかで呟いてもらえたなら、
それだけで、少しだけ報われる気がする。

俺たちは、夢を見ていた。
それが間違いだったとしても、
夢を見たことを、誰にも笑わせたくはない。

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