“無理せず働ける職場”を探して死にかけた話

看護

1.“理解ある職場”という幻想

私は、発達障害グレーゾーンで、軽度のうつ病持ち。だけど診断があいまいなまま就活して、正社員での雇用にはことごとく落ちた。だから、次は「障害者雇用で探そう」と思った。周囲からも、「そういう制度があるんだから、活用すればいいじゃない」と、軽く言われた。

「無理せず働ける職場」「配慮がある会社」──そういう求人票の言葉を信じて、応募した。何社も何社も。でも、面接では必ず聞かれるのだ。「週5勤務は大丈夫ですか?」「残業が発生する可能性もありますが、対応できますか?」って。ああ、またか、って思う。

「無理せず働ける」はずなのに、「普通に働ける人しか採りません」って、毎回言われる。それって、詐欺じゃない?

2.「女性だから優しい配慮がある」は嘘だった

女だからって、“優しく扱ってもらえる”わけじゃない。むしろ、女で、障害者で、キャリアが空白だらけで、「配慮が必要です」なんて言った日には、もう“負け確定”だ。

「週3勤務から始めたいです」「体調によって勤務時間の調整をお願いしたいです」って言ったときの、面接官の反応は今も忘れない。「…それだと、業務が回らないと思いますけど?」と真顔で返された。配慮じゃなくて、“足手まといの言い訳”に聞こえたんだろう。

女のくせに、若くもなくて、子どももいないくせに、何も“武器”がない。それなのに障害者枠で働きたいなんて、企業にしてみれば、ただの“都合の悪い存在”なのだ。

3.“甘えるな”を言われなくても知ってる

「努力不足だよね」「甘えるなよ」って、直接言われることはもうない。でも、その目は言っている。「そんなことで配慮が必要なの?」「自分でなんとかしてきた人もいるよ?」って。

何度も「就職しないの?」「なんで選んでるの?」と親戚に言われた。選んでなんかいない。ただ、“働ける職場”がどこにもなかっただけだ。電車に乗るだけで息切れして、電話対応で手が震えるのに、「甘えるな」って、もう何をどうしたらいいのか教えてほしいくらい。

「だったら、支援機関に相談すれば?」──それもした。でも、そこで紹介された職場も、“週5フルタイム”前提だった。相談したら「あなたの年齢と経歴では難しいですね」って、支援員の目も死んでいた。

私より先に、彼らが諦めてた。

4.「私には無理だ」が現実になった

求人票を見るたびに、心が折れていった。どの会社も、「明るく元気な方を歓迎」「臨機応変な対応ができる方」「チームで連携して業務に取り組める方」。それ、私には無理です──と正直に言えば、落ちるだけ。

最初は「自分を偽らずに、無理せず働こう」と思っていた。でも、それは“働くことを諦める”という意味だった。就職支援の面談で、「また落ちました」と言ったとき、担当者は「自信を持ちましょう」「合う職場は必ずあります」と、マニュアル通りの励ましをくれた。

でも、合う職場なんて、なかった。

私は“配慮されるべき人”にすらなれなかった。雇われもしないうちに、“迷惑そうな顔”をされ続けた。

5.働かずに生きる方法を、そろそろ探す頃

支援も配慮も、制度も仕組みも、“採用された人”だけに届く。就職できなかった私には、何ひとつ届かなかった。もう何社目かすら覚えてない。履歴書を書いては落ち、自己PRを練っては否定され、気づけば「生きてる理由」がわからなくなった。

「無理せず働ける職場」──どこにあるんだろう。

今日もまた、求人票をスクロールしながら、そっと画面を閉じた。
ハローワークに行く気力も、もうなかった。
「働ける人だけが、生きていい」世界に、私は向いていなかった。

もしかしたら、
働かずに生きる方法を探すほうが、まだ、希望があるのかもしれない。

その希望すら、絞りカスみたいな絶望だけど。

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