
──障害者雇用という名の孤立死
はじめに:就職できたのに、なぜこんなに怖いんだろう
「障害者枠での就職が決まりました」
そう報告したとき、周囲はみんな口を揃えて「よかったね」と言ってくれた。
親も安心した顔をしていたし、支援員も拍手してくれた。
なのに、俺はずっと、不安でたまらなかった。
就職初日の朝、会社に向かう電車の中で、
身体がずっと震えていた。
「やっとスタートだね」って言われたけど、
俺にとっては、“終わりが始まった”ようにしか感じなかった。
配慮なんて、どこにもなかった
求人票には「障害に配慮します」と書いてあった。
でも実際の職場では、「これくらいできるよね?」の空気がずっと漂っていた。
「わからないことがあれば聞いてください」と言われても、
その「聞く」ことが怖かった。
怒られるのが怖い。
迷惑がられるのが怖い。
同僚の目が怖い。
「なんで障害者に合わせなきゃいけないの?」って
誰かのため息が、後ろから突き刺さる。
ミスをして、呼び出されて、
「もう少し責任をもってやってほしい」と言われたとき、
頭が真っ白になった。
家に帰って、布団をかぶって、声も出せずに泣いた。
それでも次の日、出勤した。
“普通の人のふり”をして。
「合理的配慮」って、誰のためにあるんだろう
「配慮があれば働けます」って、何度も言ってきた。
支援者にも、ハローワークでも、面接でも。
だけど、現実には
配慮をお願いするたびに、「面倒なやつ」になる。
・静かな場所で作業したい→「この部署では無理ですね」
・作業手順を文書にしてほしい→「前例がないので…」
・突発的な会話が苦手→「コミュニケーションは基本ですから」
お願いするほど、居場所が狭くなる。
配慮されるたびに、「他の社員と違うんだよ」という無言の境界線ができる。
やがて、自分から言わなくなる。
我慢して、沈黙して、そして壊れていく。
使い捨てなんだって、気づいたときにはもう遅かった
入社して数ヶ月が経つ頃、
明らかに周囲の空気が変わった。
最初は「慣れてなくて当然」と言ってた上司が、
ある日から「いつまでも慣れないね」と言い出す。
・単純作業のはずが、少しずつ重たい仕事に
・慣れないうちに「自主性がない」と評価される
・報連相が足りないと責められ、話しかければ「タイミングが悪い」と言われる
そうしてじわじわと、居場所がなくなっていった。
上司との面談で「今後の継続について考えましょうか」と言われたとき、
その場では「はい」と言ったけど、
頭の中では、ただ一言だけが響いていた。
──ああ、俺、もう終わったな。
終わりに:誰も引き留めない
退職が決まったとき、誰も驚かなかった。
挨拶も形式的だった。
支援者からも「また次、頑張ろうね」とだけ言われた。
「就職できただけでもすごいよ」
「最初はみんなそうだから」
──その言葉に、何度も励まされようとしたけど、
もう何も感じなかった。
俺は、“雇われた”その瞬間から、
“使い捨てる準備”をされてたんだ。
支援制度も、合理的配慮も、
現場で「なかったこと」にされる。
雇用されたことで、俺の苦しみは“達成済み”として処理される。
静かに、誰にも気づかれず、
心が削られていく。
そのまま、また無職になる。
また支援に戻る。
また面接を受ける。
また「おめでとう」と言われる。
──そのループの中で、
もう誰も、本当に「俺のこと」を見ていない。

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