
──落ち着きのなさを“印象”で切られる社会で
1.「じっとしている」だけで評価される世界に生きている
転職エージェントに言われた。
「○○さん、書類はいいんですが、面接での“印象”が惜しいですね」
──惜しい。
この言葉が、何度刺さってきたことか。
俺は、面接のとき、気づけば指をいじってしまう。
視線が泳ぐ。貧乏ゆすりをしてしまう。
落ち着きがないと言われればそれまでだ。
けれど、それは“やめようと思ってやめられる動き”じゃない。
緊張を紛らわせようとして、
意識すればするほど身体が動く。
それを「印象が悪い」と言われて、
ああ、またか、と思う。
多動性は、“不快な態度”に見えるらしい。
2.言いたいことが、うまく整理できない脳
質問されたら、あれも言いたい、これも伝えたい。
話してる途中に、思い出して言いたくなって、
話が飛ぶ。順番が狂う。前置きが長くなる。
気づいたら、面接官が苦笑してる。
「……すみません、つまりどういうことですか?」
「少し論点がずれてしまったかもしれませんね」
「整理してから話してもらえると助かります」
──分かってる。自分でも分かってる。
でも、“順序立てて話す”っていうスキルが、俺には苦手すぎるんだ。
何度も練習した。原稿を用意した。
でも、話し始めた瞬間にそれを忘れる。
言葉が暴走する。気持ちが先走る。
脳が、全部一斉に喋りたがる。
3.「発想力がある」と言われても、「落ち着きがない」が勝つ
自分の強みをPRした。
「新しいアイデアを出すのが得意です」
「既存のやり方にとらわれず、工夫するのが好きです」
面接官は頷きながら言った。
「たしかに発想力はあると思います。でも、うちの職場は“地道な作業”が多いんですよね」
「スピード感よりも、安定感を重視してます」
「アイデアは評価しますけど、落ち着いた人のほうが馴染みやすいかもしれません」
──結局、“個性”は評価されない。
ADHD的な強みは、便利屋的にだけ求められる。
でも、その代償として持っている“衝動性”や“不注意”は、
一発アウトの減点要素になる。
4.「頑張ってるのに空回り」は、転職活動でも変わらない
締切前にバタバタと書いた応募書類。
勢いで送った志望動機。
面接に行ったら、会場を間違えていて遅刻──
ADHDの脳は、計画ができない。
“見通し”を立てるという概念が、定着しない。
そして、すべてのミスが、“人格の問題”にされていく。
「社会人としてのマナーが…」
「時間にルーズな人はちょっと…」
「細かいところに気が回らないですね」
──違う。
本当に違うんだ。
けれど、社会は“違い”を“劣り”として捉える。
発達障害は、“評価の土俵にすら立てない”場面が多すぎる。
5.面接に行けば行くほど、自己肯定感が削られていく
「あなたは明るくて元気な印象でした」
「でも少し、テンションが高すぎるかも」
「じっくり腰を据えて、落ち着いて…っていうのは、苦手ですよね?」
──知ってるよ。
自分が“採用されない側の人間”だって、もう十分わかってる。
けど、それでも行かなきゃいけない。
働かなきゃ、生きていけない。
障害者雇用も、一般雇用も、俺には“合ってる場所”がない。
自分の特性を説明しても、
「なるほど」と言いながら、結局は「不安要素」として処理される。
そうして、また一通。
「このたびはご期待に添えず、誠に申し訳ございません」
終わりに:「努力しても変わらない脳を、社会が許してくれない」
ADHDの脳は、“瞬発力”がある。
でも、“持続力”と“安定”が、決定的に欠けている。
そのせいで、転職活動という“定型コミュニケーションの頂点”で、
俺たちは何度も躓く。
書類は通る。でも、会って数分で見抜かれる。
「あ、この人、ちょっと落ち着きがないな」
「なんか忙しないな」
「話がまとまってないな」
──それが、全部“不採用の理由”になる。
努力しても変わらない脳を、社会は“甘え”と呼ぶ。
「それって、ただの準備不足では?」と。
違う。
これは“構造上の違い”だ。
でも、そんなことを面接で説明しても、
時間切れで、笑顔で落とされるだけだ。

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