【発達障害当事者女性の経験談】「貧困は“女の人生を終わらせる”呪いだった」

看護

1.「金がない、夢もない、選択肢もない」

私、30代後半。
発達障害グレーゾーン診断あり。
ASD寄りでコミュニケーションに難があって、ADHDみたいに注意が飛ぶ。
精神科には通ってる。
でも障害年金は通らなかった。

金がない、っていうのは「選択肢がない」ってことだ。
健康にも気を使えないし、美容院も行けない。
服も靴もヨレヨレ。
電車賃を節約するために歩く。
友達付き合いも消えた。
婚活? 恋愛? そんなの笑える。

お金がないと、人間関係すら維持できない。
「会おう」って言われてもカフェ代すら痛い。
LINEも減った。
やがて誰とも会わなくなる。
貧困は孤独とセットだ。


2.「障害者雇用すら受からない現実」

支援者は「障害者雇用枠を活用しましょう」って言う。
でも求人は事務補助、軽作業、パート時給950円。
「長時間は難しい方歓迎」って書いてあるくせに、面接に行くと「なるべくフルタイムが理想です」。
合理的配慮は「みんな平等に指導してますから」。

女だから「結婚してるんですか」「将来的に子供は?」って聞かれることもある。
「シングルなんです」「予定もありません」
そう言うと「親御さんと同居? 支援は?」

つまり「養ってもらえる人間か」を確認される。
それがないと「じゃあ生活保護を申請しては?」って。
働きたいから面接に来てるのに、支援者にも企業にも「自立は無理でしょ?」って目で見られる。


3.「支援機関も私を選別する」

就労移行支援にも通った。
「焦らなくていい」「寄り添います」って言ってくれる。
でも面接練習で私はよく詰まった。
「短く、端的に」「自信を持って」
でも私は、言葉をまとめるのが苦手だ。
空気を読むのも苦手だ。

だんだん支援者の目が変わる。
「もうちょっと自分の言葉で」
「練習してきました?」
「あとは自己責任ですよ」

そう、結局「使える人材」じゃないと就職実績にカウントできない。
就労移行も成果を出すために、決まりやすい若い男性や軽度の人を優先する。
私は「難しいケース」だ。
だから形だけの面接練習をして、「頑張ってください」で終わる。


4.「親も老いて、私を養えない」

家族も頼れない。
親は年金暮らし。
医療費もかかる。
私を養う余裕なんかない。
でも市役所に生活保護を相談に行くと「同居の親に扶養照会します」。
親は「恥ずかしい」「近所に知られる」って言う。

支援者は「家族と話し合いましょう」って言うけど、話せば話すほど気まずくなる。
親の老後資金を食い潰して、私が生き延びる構図。
親も怖いんだと思う。
私がこの先も働けないんじゃないかって。
でも直接は言わない。
だから余計に重い。

親の老後を破壊しながら生きる私。
これが「家族で支え合いましょう」という社会の美談の正体だ。


5.「恋愛も結婚も、選ぶ権利がない」

金がない女には、恋愛する自由もない。
年齢を重ねるたびに「賞味期限切れ」みたいに扱われる。
マッチングアプリも、婚活パーティーも、金がかかるし、相手だって察する。
「働いてないの?」「実家暮らし?」
会話が詰まる。

正直に障害の話をしたら「無理です」って切られる。
黙って付き合っても、結婚の話が出たら詰む。
貧困って「愛されるチャンスを奪う」んだよ。
女だからこそ、「誰かに選ばれる」という幻想で生きてきた部分があるのに、金がないと「選ばれない」のが現実になる。
障害がある女は「重い荷物」として扱われる。
それを痛いほどわかってしまう。


6.「死ぬな、生きろ、でもここには来るな」

市役所でも言われる。
「若いし働けますよね」
「就労移行もありますし」
「生活保護は最後の手段です」

支援機関でも言われる。
「就職を目指しましょう」
「安定して働ける職場を一緒に探しましょう」

企業は言う。
「障害者枠ですし、波があると難しい」
「ご家族の理解はありますか」

親は言う。
「いつまでも頼られても困る」
「将来どうするの」

どこもかしこも「私を支える気はない」。
でも「死なないでください」「自殺はダメです」。
死ぬのはダメ、生きるのもダメ、でも金も場所も出さない。
そんな社会に生きてる。


7.「自己責任、甘えるな、努力不足」

最終的にはここに落ち着く。
「甘えるな」
「努力不足」
「自己責任だろ」

親も、支援者も、行政も、社会も、この言葉で私を突き放せる。
「本人の問題」にすれば、制度を変えなくていい。
賃金を上げなくていい。
合理的配慮を増やさなくていい。

「あなたが弱いから」
「あなたが頑張ってないから」
「あなたが甘えてるから」

それを毎日刷り込まれる。
自己肯定感なんか死に絶えた。
「私さえ消えればいい」って、何度も思った。
でも死ぬ勇気もない。
だから今日も、生きるために金を探す。
仕事を探す。
落ちる。
また探す。


終わりに

これが「女の貧困」のリアルだ。
障害がある女は、「誰にも選ばれない」現実を突きつけられる。
家族、支援、制度、社会、どこも手を差し伸べるフリだけする。
でも本音は「勝手に生きろ、でも死ぬなよ」。

貧困は、生きる自由を奪う。
愛される権利も、安心する権利も、未来を選ぶ権利も奪う。
「努力不足」「自己責任」で切り捨てて終わり。

それでも明日も生きるしかない。
死ねないから。
金がないまま、生き延びるしかない。
それがこの社会で、私が女として生きる現実だ。

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