“障害年金も出ない”軽度グレーゾーンの貧困

看護

1.「診断はついたけど、何ももらえない」

俺には診断名がついてる。
発達障害、軽度の知的境界域、気分障害の既往。
病院にも通った。
カウンセリングも受けた。
でも、障害年金は通らなかった。

「生活に支障は?」
「働けないほどの状態ですか?」
そう聞かれて、結局は「働けるでしょ」で終わる。
確かにベッドから一歩も出られないほど寝たきりじゃない。
でも職場には適応できない。
人間関係が詰む。
パニックになって頭が真っ白になる。
「もう大丈夫」と思って働いても、何度も潰れた。

役所の書類は全部「働ける能力はある」と書いてある。
そこに俺の現実は書けない。
だから金は出ない。


2.「生活保護も受けられない」

年金がだめなら生活保護があるじゃないか。
よく言われる。
でも親がいる。
同居はしていないが、まだ生きてる。
「仕送りは?援助は?」
水際で止められる。
俺が親に頭を下げて金を無心するところまで想定されてる。

親に言えばいい?
「また働けなくなったのか」
「お前、どうするつもりだ」
あの沈黙が怖い。
言えない。
生活保護の申請は未遂で終わる。

結局、親の老後の貯金を削って暮らすわけにもいかない。
自分で食う金を、自分で稼ぐしかない。
「でも福祉は?」と聞かれても、「門前払い」しか思い出せない。


3.「求人票は“歓迎”しているのに選ばれない」

働けと言われる。
でも選ばれない。
求人票は「未経験歓迎」「人柄重視」なんて書いてある。
嘘だ。
書類で落ちる。
面接で詰まる。
相手の表情が変わる瞬間がわかる。
「あ、だめだな」っていう目。

短期離職が多い。
ブランクも長い。
「働けないほどではない」という医者の判定は、社会にとっては「働け」って意味だ。
でも俺を雇う理由はない。
「支援も受けてます」なんて言ったらリスクだと思われる。
黙って入れば、配慮なしで潰れる。


4.「支援機関も“自立支援”の限界」

就労移行にも行った。
面接練習もした。
自己理解も深めた。
「反省点を説明できるようにしましょう」
「配慮事項を整理しましょう」

でも現場はそんな話を聞かない。
人手不足な現場ほど、むしろ「即戦力」を求める。
「うちはそういうの難しいんで」
面接官が選ぶのは、普通に働ける人だ。

支援者も「次こそは」と言うけど、何度も落ち続けて、就労移行の期限も切れた。
もう「卒業扱い」だ。
定着支援?
そもそも働き先が決まらない。
もう誰も伴走してくれない。


5.「社会に居場所はない、でも死ぬなと言われる」

病気は軽度。
診断名はあるけど、年金は出ない。
生活保護は通らない。
支援機関の制度も使い果たした。
結局は「自力でなんとかしろ」に行き着く。

でも就職はできない。
選ばれない。
選ばれても続かない。
職場の人間関係で詰む。
配慮を頼めば「じゃあ無理です」。
頼まなければ「なぜ言わなかった」。

俺は働けるのか。
「いや、なんとかしろ」
その一言に集約される社会の答えを、面接のたびに突きつけられる。
死ぬなと言われるけど、生きる手段は自分で用意しろ。
それが無理なやつには、居場所はない。


6.「終わりに:俺はまだ生きてるだけだ」

今日も求人を眺める。
応募ボタンを押す指が止まる。
どうせ落ちるだろうな、って思う。
でも生活費は待ってくれない。
親にはもう言えない。
福祉には相手にされない。
社会には歓迎されない。

「まだ生きてるだけマシ」
そんなふうに自分を慰める声が、どんどん小さくなる。
誰にも責められない形で、ゆっくり首が締まっていく。
それでも死ぬなと言われるから、今日も生きてる。
それだけだ。

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