ASD当事者が、職場で壊れていくまで。

看護

【1】配慮されるはずだったスタート

障害者雇用枠で入社したとき、ほんの少しだけ希望があった。

「発達障害があっても働ける環境が整っている職場です」「マルチタスクが苦手な方も安心して働けます」――求人票には、そう書いてあった。面接でも、診断名と困りごとを正直に話した。緊張しながらも、「大丈夫です、うちはそういう方も多いので」と言ってもらえたことで、入社を決めた。

入社初日は丁寧に挨拶され、席も静かな場所を用意してくれた。「ここなら自分でもやっていけるかもしれない」と感じたのを、今でもよく覚えている。

だが、それは最初の3日間だけだった。

【2】“普通”のラインにすぐ引き戻される

一度業務が始まると、空気は変わる。職場の誰もが“言わなくても分かること”を前提に動いていた。

「空気読んで」「ちょっと様子見て動いてくれる?」
そんな指示に戸惑いながら、「具体的に何をすればいいですか?」と聞くと、相手の顔が曇る。「だから、普通に考えて…」と返されて、結局わからない。

「やらなければ」と焦って動けば、「それ今じゃない」と止められる。自分なりにスケジュールを立てても、突然の割り込み仕事で全部崩れる。

タスクがいくつも並行すると、脳がフリーズする。頭の中に霧がかかったようになり、ミスが増えていく。

【3】「配慮」は一度だけ。あとは自己責任

障害のことを再度伝えても、「うちではすでに配慮している」「これ以上は難しい」と一蹴された。何が配慮だったのか聞くと、「座席は配慮しましたよね?」「最初に丁寧に教えましたよね?」と返される。

結局、「理解がある」とされる環境も、最初の数日で終わっていた。
あとは、暗黙の了解と場の空気で動く“普通の社会”だった。

周囲は忙しそうに動いている。何度も聞けば嫌な顔をされるし、聞かずにミスすれば「なんで確認しなかったの」と怒られる。
どっちに転んでも正解はない。そんな毎日が、じわじわと心を削っていった。

【4】仲間の輪に、入れてもらえない現実

業務だけではない。人間関係にも、うまく溶け込めなかった。

仕事の合間の雑談に入ろうとすると、話題が切り替わる。お昼の誘いも最初だけ。話しかけても、「ああ、うん」「あ、ごめん今ちょっと」と受け流され、次第に言葉をかけるのが怖くなる。

笑い声が聞こえるたび、自分のことを言われている気がする。会議中に一瞬だけ視線を交わされると、「また失敗したかな」と不安になる。

気づけば、“そこにいるのに、いない人”のような扱いを受けていた。

【5】うつ病の診断と、何も変わらない日々

ある日突然、体が動かなくなった。

出勤準備をしていたはずが、玄関で膝から崩れ落ちた。手が震え、呼吸が浅くなる。涙が勝手に流れた。

心療内科を受診し、「うつ病」と診断された。医師は「とにかく休みましょう」と言ったが、「休んだらもう戻れない」と思う自分もいた。

診断書を職場に出すと、「お大事にしてください」と定型文の返答。復職のことを相談しても、あいまいな返事しか返ってこない。「今は人が足りているので、また状況を見て…」

状況が良くなることは、なかった。

【6】就労市場の「自己責任」

しばらくして退職。傷病手当をもらいながら療養し、なんとか体調が戻ってきたころ、再び就職活動を始めた。

だが、履歴書には「短期離職」と「うつ病」の記録が並ぶ。「発達障害」「二次障害」「配慮が必要」――求人票にそう書かれていても、実際の面接では「うちは即戦力が欲しくて」「まずはパートから様子を見て」と断られる。

空白期間が増えるごとに、企業の視線が冷たくなる。「今は元気です」と言っても、「また体調を崩されると…」とためらわれる。

結局、「働ける状態ではあるが、雇ってもらえない」人間が、ひとり残される。


「障害があっても働ける社会」なんて幻想だった。

制度はある。言葉もある。でも、それを活かす“現場”は変わっていなかった。

無理解、誤解、孤立、そして二次障害。
“配慮されたふり”の中で、静かに壊れていく人が、確かにいる。

――ただ、まっとうに、生きたかっただけなのに。

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