「みんな頑張ってる、なのに俺は詰んでる」

看護

―SNSが教えてくれるのは“希望”じゃなくて“敗北”だった―


1.成功体験のタイムラインに殺される

SNSって、便利だよな。情報はすぐ手に入るし、似た境遇の人とも繋がれる。
でも、それが地獄の始まりだって気づいたのは、何回目のスクロールだったか…。

「発達障害ですが、就職できました!」
「ADHDだけど、在宅でバリバリ働いてます!」
「うつ病から復活!今は年収600万!」

……いやもう、すごいよ、ホント。
尊敬するし、嫉妬もするし、同時に心がバキバキに折れる。
だって、自分は? 何もない。
就職どころか書類で落とされ、支援機関でもお荷物扱い。
資格もない、スキルもない、職歴は短期離職だらけ。

SNS見れば見るほど、「成功する発達障害者」が神様みたいに並んでて、
自分が“失敗作”みたいに思えてくる。


2.「私も昔はダメでした」←いやお前、経歴が違うやん

よくあるのがさ、こういうやつ。

「実は私も、昔は引きこもりでした。でも努力して資格を取って、今は自信に繋がっています!」

……待て。
その“昔”って何歳のときよ。
実家金持ちで、大学出てて、支えてくれる人がいたんじゃないの?
スタートラインが全然違うんだわ。

努力で変わるって言うけど、努力が実る環境がない人もいるんだよ。
睡眠も生活も崩れて、支援も受けられず、相談相手もいない。
そんな状態で「まずは自分を認めましょう」とか言われてもさ、正直、鼻で笑っちゃう。


3.自己肯定感の再起不能

SNSでは「自己肯定感を高めよう」ってよく言うじゃん。
「小さな成功体験を積み重ねて、自信に繋げましょう」って。
でもな?
“成功体験”すら用意されてないやつが、大勢いるんだよ。

失敗→落ち込む→SNS見る→成功例ばかり→さらに落ち込む
この地獄ループ。
日々、自尊心をすり減らして、ようやく生きてるのに、
「行動してないから結果が出ない」とか言われた日には、もう完全に詰み。
努力しないやつはダメ、って空気が透けて見える。


4.成功者の言葉が“刃”に変わる時

成功した発達障害者の発言って、
最初は勇気をくれる言葉だったはずなのに、
ある日から急にナイフになる。

「人間関係は自分次第で変わりますよ」
「今の職場に不満があるなら、転職すれば?」
「私は好きなことで稼げるようになりました」

……知ってるよ。
でもな、それができる環境にいなかったら?
逃げ道すら用意されてないやつに、その言葉は呪いなんだよ。


5.比較地獄と“いいね”の圧

「頑張ってます!」って投稿がバズってるのを見るたびに、
「じゃあ俺は何も頑張ってないのか」って自己嫌悪が襲ってくる。
自分がどんどん小さく見えて、呼吸も浅くなる。

「できる発達障害者」しか目立たないSNSでは、
“ダメなままの発達障害者”は、ただのノイズ。
「発信する勇気を出そう!」って言われても、
何を言っても「甘え」「努力不足」って言われるのがオチ。

だったら黙るしかない。
黙って、SNS閉じて、布団の中で天井を見つめる。
今日も、何も変わらなかった。


6.SNSに希望を求めた自分が、バカだったのかもしれない

本当は、ちょっと期待してた。
「同じような人いるかな」
「何かヒントがあるかも」って。
でも目にするのは、輝いてる人だけ。
キラキラした成功例と、明るい笑顔の写真と、「前向きに生きよう」って言葉。

それを見ながら、「自分もそうなれるかも」って思うのが、もう間違いだったのかもしれない。
この社会は、「努力すれば報われる人」だけが拾われる設計になってる。
それ以外は、見えない場所で、静かに潰されていく。


※まとめ:SNSの“光”は、見る人を選ぶ

SNSは光だって?
いや、それは見れる位置にいるやつだけの話。
地べたを這ってる人間には、その光はただの幻。
現実は変わらず、生活も苦しくて、心はすり減ってく一方。
だからもう、フォローやいいねの数なんかより、誰にも見られない部屋で生きてるだけで、上出来だろって言ってやりたいよな。

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