
1.人付き合いの説明書が欲しかった
「もうちょっと周りと仲良くなったほうがいいよ」
「空気読んで」
「気にしすぎじゃない?」
──それができたら苦労してません。
子どものころは「元気な子」と言われてた。おしゃべり好きで明るいねって。
でも社会に出たら「うるさい」「空気読めない」「いちいち話が長い」ときたもんだ。
喋ればズレてる、黙れば無愛想。
もう何やっても、どっかしら“ちょっと違う”って言われる。
そんなに「ちょうどいい感じ」ってのが偉いなら、全国の気配センサー付き空気清浄機を全員正社員で雇えばいいじゃないか。俺より気が利くぞ、たぶん。
2.“雑談”ってなんですか
昼休み。
職場の輪の中で、みんなが軽快に笑ってる。テレビの話、子どもの話、週末のパンケーキ屋の話。
……ごめん、何も返せる話題がない。
そもそもパンケーキって、そんなに語れる食い物だったか?
会話に入ろうとタイミングを見計らってるうちに、話は次の話題へ。
「なんか無理して喋らなくてもいいよ」と言われたときのダメージは、ブラックコーヒー5杯分の胃痛に匹敵する。
“話しかけるのは自由、でも空気を壊したら自己責任”──それが職場の雑談のルール。誰が決めた?
3.顔色を読むという拷問
「〇〇さん、最近ちょっと冷たいよね」
「昨日なんか機嫌悪そうだったし」
──いやいや、私が気にしてんのはそっちの顔色なんですけど?
上司の声が低い気がするだけで、もう今日は全部ダメな気がしてくる。
「あの時の返事、まずかったかな」
「余計な一言だったかも」
家に帰ってシャワー浴びながら、反省会が止まらない。温度調節よりも職場の空気のほうがよっぽど気を遣う。
ADHDには“直感で人の機嫌を読む機能”が標準装備されていない。
でも周囲はその前提で動いている。結果、事故多発。
4.いい人をやりすぎて、電池切れ
「嫌なことは断ればいいよ」
「我慢しすぎじゃない?」
──だから、それができないんだって。
頼まれると断れない。「ちょっとお願い」「ついでにこれも」
気づけば自分だけ残業。けど誰も見てない。
何かを引き受けたときの「助かった〜!」の笑顔は覚えてるのに、
疲れた顔して帰ったときの自分のことは、誰も気づいてくれない。
「君ってほんと気が利くよね」って言葉をもらうたびに、
“気が利く奴”という仮面をきつく縛り直して、心の酸素がどんどん薄くなる。
5.誰も悪くない、でもしんどい
「相手のせいじゃない」と分かってる。
「自分が気にしすぎ」とも分かってる。
でも、“わかってる”ことと“楽になる”ことは別だ。
「無理しなくていいよ」と言ってくれる人にほど、無理をしてしまう。
「気にしないで」と言われた一言を、三日後も覚えてる。
「そろそろ馴染んでくれないと」と言われたとき、
“あなたと同じにはなれません”と叫びたい気持ちを飲み込んで、笑顔でうなずいた。
こんな日々を繰り返していると、
人と話す前に、まず“自分の心”をスイッチオンにしなきゃならない。
まとめ:人間関係は、ノイズキャンセリングよりも消耗する
メールの返信も、プレゼンの準備も、作業の段取りも、ある程度は練習でなんとかなる。
でも人間関係だけは“がんばるほどズレる”不思議なゲーム。
たった一言の表現ミスで信頼が壊れたり、
一回の雑談スルーで「ノリ悪い人」認定されたり。
“普通にやってるだけ”が難しい、そんな自分に疲れていく。
「気にしないで」と言われるほど、気にしてしまう。
「もっと肩の力を抜いて」と言われると、どこに力を入れてたのか分からなくなる。
今日もまた、笑顔で疲れ、気を遣っては“何もしてないように見える”時間を過ごしている。

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