
──自覚も診断もないまま、履歴書に職歴だけが増えていく
1.気づけば、また辞めていた。「何が悪いのか」はいつも分からない
俺は、これまで何度も仕事を変えてきた。
バイトも契約社員も、正社員もやった。
だけど、どれも長く続かなかった。
最短は1週間、最長でも1年とちょっと。
気づけば履歴書は、職歴だけが並ぶ“墓標”みたいになっていた。
最初は思ってた。「職場が合わなかったんだ」
次は「上司との相性が悪かったんだ」
次は「仕事内容が単調すぎた」
次は「忙しすぎて心が潰れた」
でも、何度目かで、ふと立ち止まる。
──あれ? 俺、何度も同じような理由で辞めてないか?
2.“人間関係が苦手”って、どこまでが普通なんだろう
新しい職場に入るたびに、自分なりに頑張ってきたつもりだ。
最初は挨拶もするし、雰囲気も悪くない。
でも、数週間たつと、急に浮いてくる。
・飲み会に誘われない
・ちょっとした雑談で返事に困る
・話すと「なんかズレてるね」と笑われる
・空気が読めてないと言われる
・「あの人、ちょっと変わってるよね」と噂される
──俺は、職場に馴染めない。
でも、「そういう人もいる」って言い聞かせてた。
大人になれば人間関係なんてそんなもんだと。
でも、「なぜか自分だけが疲弊して辞めていく」このループ、
ほんとに“普通のこと”なんだろうか?
3.「段取りが苦手」「忘れ物が多い」「注意されるとパニック」全部“努力不足”扱い
仕事で何度も言われた。
「ちゃんとメモしてる?」
「確認した?」
「なんでこれ、やってないの?」
「何回言えば分かるの?」
頭では分かってるんだ。
でも、すぐに抜けてしまう。
手帳もカレンダーも使ってみた。
でも、記入することすら忘れる。
タスクが多くなると、頭が真っ白になって止まってしまう。
──俺って、バカなのか?
周りは同じことを涼しい顔でやってるのに。
俺だけが、いつも怒られて、落ち込んで、
そして、辞めていく。
誰も「発達障害」なんて言わない。
ただ、「注意力がない人」「仕事が雑な人」になる。
“診断されない苦しみ”は、“怠けているように見える苦しみ”でもある。
4.「病院に行くほどではない」って言ってるうちに、職歴だけが増えていく
ネットで検索したら、「ADHDの特徴」に思い当たる節がいくつも出てきた。
ASDのページも見た。
気になった。
でも、すぐ閉じた。
「俺はそこまでじゃない」
「病気のせいにしたくない」
「診断されたら、もっと生きづらくなりそうだし」
「グレーゾーンとか言っても、甘えてるように見られるだけだし」
──そんなふうに言い訳してる間に、
年齢は30代に近づき、職歴はどんどん増えていった。
「短期離職が多いですね」
「継続的に働けた経験が少ないようですが…」
「この仕事、向いてなかったんじゃないですか?」
そう言われるたびに、胸に穴が開く。
──何が向いていて、何が向いてないか、俺にはもう分からない。
5.「普通じゃない」と気づいたときには、もう取り返しがつかない
ようやく、心療内科に行く決意をしたのは、5社連続で面接に落ちたあとだった。
診断結果は、「注意欠如・多動症、及び自閉スペクトラム傾向あり」。
医者は「グレーゾーンではありますが、生きづらさの要因にはなっていると思います」と言った。
──ああ、やっぱりそうか。
どこか安心した。でも、同時に絶望もした。
今までの失敗が、全部“俺のせい”じゃなかったと思えた反面、
じゃあ、“これからもこの脳で生きていかなきゃいけない”という現実が重くのしかかった。
これが、もっと早く気づけてたら。
これが、もっと支援につながれていたら。
でも、もう遅い。
履歴書は真っ黒で、就職先は減る一方。
支援機関は「年齢的に一般雇用を目指したほうがいい」と言う。
でも、また落ちるんだ。分かってる。
終わりに:「診断が遅れた人間は、人生ごと遅れていく」
発達障害グレーゾーン──
それは、“診断されないことで見過ごされていく脳”だ。
「性格の問題」と言われ、
「甘え」と言われ、
「自己責任」と言われ続けて、
気づいた頃には、社会のレールから遠く離れていた。
今さら、“支援”って言っても、
履歴の穴は埋まらないし、評価も変わらない。
俺の人生は、
「何も分からないまま、ただ落ちこぼれていった」その連続だった。
──そして今、
次の応募ボタンを前に、またためらっている。

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