【ASD】言葉通りに受け取ると、“変な人”になる

看護

──「そういう意味じゃないよ」は、いつも俺にだけ後出しされる


1.「冗談だってわかるでしょ?」が分からない

ある日、先輩が言った。

「この書類、3秒で終わらせてね~(笑)」

俺は真顔で答えた。
「いえ、物理的に3秒は無理だと思います」

すると、職場が凍った。
「……いや、冗談でしょ」
「○○さんって、そういうの真に受けちゃうよね」

──またやってしまった。
冗談や比喩を、文字通り受け取ってしまう。
ASDの俺には、“言葉の裏”が読めない。

「空気を読め」「その場のノリでしょ」
でも、俺には*ノリ”というルールブックが存在しない。


2.指示語、あいまいな言い回し、主語のない言葉

「それ、こっちに入れておいて」
「あと、例の件よろしく」
「今日のアレ、気をつけて」

──“それ”“こっち”“例の件”“アレ”って、何?

ASDの脳では、文脈を読み取る機能が極端に苦手だ。
人によっては、言葉の正確な定義と、明確な指示がないと動けない。
でも、それを伝えると、今度はこう言われる。

「いちいち細かいよね」
「自分で考えて動いて」
「普通、分かるでしょ?」

普通って、なんだよ。
“普通”の定義が分かるなら、もうとっくに合わせてる。


3.意図を汲まずに答えると、“面倒な奴”になる

上司にこう聞かれた。

「今週末、暇?」
俺:「はい、暇です」
上司:「……じゃあ、出勤お願いできる?」
俺:「いえ、暇ですが、勤務予定ではないので予定を入れてました」

──その瞬間、空気がピリついた。

「察しろよ」
「そういうことを聞いてるって、わかるでしょ」
「素直すぎて逆に困る」

俺はただ、聞かれた内容に正確に答えただけ。
でも、“意図”を読み取らなかったことで、「空気が読めない」とされる。

ASDにとっては、言葉の意味=世界の意味
でも、職場では“言葉どおり”に動くと、
「変わってる」「ズレてる」「めんどくさい」にされる。


4.わざとやってると思われる苦しさ

「ほんとは分かってるでしょ?」
「わざとやってない?」
「もう社会人なんだからさ」

何度も言われた。
説明もした。
「ASDの特性で、曖昧な表現が理解しづらい」と。
でも、理解されたことは一度もなかった。

俺の“誤解”は、いつも“性格”として裁かれる。
融通がきかない。
頭が固い。
理屈っぽい。

──脳のつくりを、人格の欠陥にされていく。
そのたびに、自分を責めて、縮こまって、何も言えなくなる。


5.曖昧さが支配する社会では、正確さは“異物”になる

社会は曖昧なまま、曖昧な空気で回っている。
「ニュアンスで汲み取って」
「状況に応じて変えて」
「言わなくても分かるよね」

──言ってくれないと、分からない。
言葉でしか世界を認識できない人間が、
“空気の中でしか通じ合わない世界”に放り込まれてる。

だから、俺はいつも間違える。
正しくやろうとして間違える。
誠実に答えたことで「空気読めない」と怒られる。

わざとじゃない。
努力不足でもない。
でも、理解されないまま、「扱いにくい人間」として切り捨てられていく。


終わりに:「“ちゃんと言葉にして”と願っただけなのに」

ASDの人間は、ただ、“言葉にしてほしい”だけなんだ。
冗談なら、冗談だと。
お願いなら、お願いだと。
曖昧じゃなく、具体的に。

でもこの社会では、「いちいち言葉にするやつ」は、“空気が読めないやつ”になる。
正確さは、めんどくさい。
誠実さは、煙たがられる。
「真面目すぎる」「堅すぎる」「付き合いにくい」

──結局、俺はまた黙るしかない。
話すたびに間違えるなら、黙ったほうがマシだから。

でも、黙ったら黙ったで、「何考えてるか分からない」って言われるんだけどね。

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