“年齢=就職歴なし”が許されるのは、何歳までか──答えは、最初から決まっていた

看護

■【冒頭】──求人票を見ても、そこに“俺”の居場所はない

最近、求人サイトを開くことすら億劫になった。
理由は単純で、「年齢不問」と書かれていても、
“実際は若い人を求めてる”ってことくらい、俺ももうわかってきたからだ。

支援施設で紹介された求人も、面接に進んだ時点でうっすら察する。
「ああ、今回も“若くて元気な人”が欲しいんだな」って。
俺が27歳で、就職歴なしで、空白期間が3年あって、発達障害グレーゾーンで──
そんな履歴書が、通る未来なんて、ほとんどない。

でも、誰もそれをはっきりとは言わない。
「やってみないと分からないよ」って、言葉だけは優しい。
でも現実は、書類で落ちるか、面接で落ちるか、そのどちらか。

選ばれない人生を、“自己責任”というラベルで包み込むのが、今の社会らしい。


■【通過点】──「20代ならまだやり直せるよ」の“呪い”

支援員はこう言う。「まだ20代だし、焦らなくていい」
でも、俺は知ってる。
「20代ならやり直せるよ」って言葉は、
裏を返せば「30代になったら詰みますよ」って意味なんだ。

20代で職歴がない人間は、“やり直し枠”として見られる。
でもそれは、見方を変えれば「ギリギリまだ諦めてないライン」ってだけで、
実際に“採用する”かは別の話。

30代になったとき、俺はどうなるのか──
答えは簡単だ。
支援者の目の色が、少しずつ変わる。
求人の数が、急に減る。
紹介される仕事が、パートや短期のものばかりになる。

「年齢に応じた現実的な選択を」なんて言われ始めたら、もう終わり。

やり直しのラストチャンスって、誰かが明言しなくても、
社会全体が“圧”で伝えてくる。


■【制度】──「若者支援」から漏れ落ちた瞬間に始まる“無支援”

ハローワークでも、支援施設でも、行政でも、
“若者支援”という枠組みは充実している。
でも、その“若者”の定義は、多くの場合「おおむね35歳未満」。

35歳を過ぎたら、雇用保険の枠も変わり、
支援制度の選択肢も減り、
紹介される仕事のジャンルも変わる。

35歳って、人生的にはまだ“中盤の入口”のはずなのに、
障害者雇用の世界では、もはや“終盤戦”の扱いになる。

合理的配慮なんて、求人票の中でしか見たことがない。
実際の職場で求められるのは、
「最低限のコミュ力」「自走力」「空気を読む力」。

俺にはどれも、過剰なノイズにしか聞こえなかった。


■【孤立】──誰にも必要とされない“存在の耐えがたさ”

面接で落ち続けるたびに、
「今回はご縁がなかったということで…」というテンプレが送られてくる。

でも、100回以上“ご縁”がないと、
もうそれは“人として拒絶されている”という実感になる。

自分の名前が、
自分の履歴書が、
自分の障害名が、
社会にとっての“不要物”であるという事実だけが、静かに積み上がっていく。

同年代の友人たちは、もう結婚して、住宅ローンを組んで、
「保育園の空きがない」とか「昇進したくない」とか、
まったく別次元の悩みを抱えている。

俺の悩みは、「次の家賃をどう払うか」。
「来月もこの生活を続けてていいのか」。
そして、「俺は、何歳まで就職活動をしていればいいのか」。


■【終幕】──“諦めた人間”に社会は何も与えない

「まだ若いから、諦めるのは早いよ」
そう言われるのは、若いうちだけだ。
ある年齢を越えると、
「もう諦めて、別の生き方を探そうか」って言い換えられる。
それは、“社会からの事実上の戦力外通告”だ。

俺は今、週3日、作業所に通っている。
月に数万円の工賃で、誰にも責められない場所にいる。

でもそこには“生活”はない。
未来もない。
ただ、“無理しない”という名の現実逃避があるだけだ。

働く場所がない人間は、社会に“所属”することすら許されない。
何をしても、“まだやれることはある”とは言われるけど、
実際には、もう“詰み”なんだと思う。

今、求人票を見ても、
「この仕事、できるかな」ではなく、
「この仕事、俺の年齢でも見てもらえるかな」って、最初に考えてしまう。

そして、そっとページを閉じる。
希望なんて、もう求人票のどこにも載っていない。

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