
障害のある方々が一般企業に就職する、この一見ごく当たり前のことが、なぜこんなにも高い壁となって立ちはだかるのでしょうか。
職業選択の自由が謳われ、障害者雇用促進法が整備され、合理的配慮の提供が義務付けられた今でもなお、「一般就労」という言葉はどこか重たく、険しい響きをまとっています。
数字で見ると、障害者の就職者数は年々増加傾向にあります。ハローワークを通じた就職件数も、精神障害者を中心に伸びており、制度的には「進んでいる」と評されることもあります。しかし、現場に立って耳をすませば、「就職できたけれど、3ヶ月で辞めてしまった」「なかなか受け入れてもらえる企業がない」「障害を開示したら面接すら通らない」といった声が、あとを絶ちません。
こうした“数字の先にある現実”を直視することなくして、真の課題解決はありえません。就職をゴールとせず、あくまで“はじまり”とする視点をもって、なぜ障害のある方々にとって一般就労が難しいのかを、いま一度丁寧に見つめ直してみる必要があるのではないでしょうか。
採用の入り口に潜む「目に見えないフィルター」
「うちの会社ではちょっと難しいかもしれませんね」この言葉を、何人の障害当事者が面接の場で耳にしてきたことでしょうか。
企業側が障害者採用に及び腰になる背景には、いくつかの要因が複雑に絡み合っています。
第一に挙げられるのは、「何がどこまでできるのか、わからない」という不安です。障害者と接する機会が乏しい企業ほど、「失敗させてはいけない」「トラブルが起きたらどうしよう」といった懸念が先立ち、採用そのものを躊躇してしまいます。
特に精神障害や発達障害など、外見からは分かりにくい障害に対しては、その傾向が顕著です。
「配慮の仕方がわからない」「急に辞めてしまうのでは」という想像が、現実よりも大きく膨らんでしまうのです。
また、履歴書や面接で評価されるスキルや経験値が、一般の採用基準で画一的に判断される場面も多くあります。
例えば、空白期間の長さ、頻繁な職場変更、口下手な自己紹介。
これらは「マイナス要素」として見なされがちですが、その背景にある事情や回復の努力、支援機関との連携状況などに目を向ける視点がなければ、入口でシャットアウトされてしまうのです。
つまり、一般就労の難しさとは、制度上の「門」が狭いのではなく、その門の前に設けられた“目に見えないフィルター”の存在にあるのかもしれません。
働く「持久力」を削る社会の構造
晴れて採用されたとしても、そこからが本当の意味での挑戦の始まりです。
環境に適応し、職場に慣れ、役割を果たしていく過程には、さまざまな壁が立ちはだかります。その中でも特に深刻なのが、「定着の難しさ」です。
これは本人の能力や努力だけで語れる話ではありません。むしろ、周囲の環境――上司や同僚の理解の有無、業務の柔軟性、通院や服薬との両立への配慮、ストレス要因の調整といった、外的な要素が大きく影響しています。ところが実際には、企業の多くが「採用の壁を越えたから、もう支援は不要」と考えてしまいがちです。
さらに、職場の「暗黙のルール」が人を疲弊させることもあります。例えば、「ランチは皆で一緒に」「雑談に自然と参加」「空気を読んで臨機応変に動く」といった、明文化されていないけれど重要視される“社会的スキル”の要求。それが静かに、しかし確実に、障害のある人の“働く持久力”を削っていくのです。
結果として、「がんばりすぎて体調を崩した」「誰にも相談できず退職した」というケースが後を絶ちません。働くという行為が、日常を整えることでも、安心できる居場所を築くことでもなく、ただの“我慢競争”になってしまっては、本末転倒です。
じゃあ、どうすればいいのか?
答えは決して、特別なことではないと思うのです。「できる仕事を任せる」「困ったときは相談できる」「必要な配慮は、恥ではなく当然として受け止める」
そうした“当たり前”を、障害のある人にも提供する。それだけで、働くことのハードルはぐっと下がります。
そして何より大切なのは、「その人が何を目指したいのか」を問い、聴き、共に考える姿勢です。一般就労を「目標」とする支援はよくありますが、「そこからどんな人生を歩みたいのか」を一緒に描こうとする支援は、まだまだ少ないように思います。
就職をゴールにせず、「働くことを通して、どんな自分でありたいか」という問いを持ち続けること。それは障害のある人に限らず、誰にとっても豊かなキャリアの出発点となるはずです。
「普通に働く」ということが、障害者にとってもごく自然な選択肢となる事を願います。
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