
1.入れても、登れない世界
障害者雇用――それは、社会の“やさしさ”を装った枠。
入り口はある。制度もある。「歓迎します」の求人票も山ほどある。
けれど、いざ入ってみればわかる。
そこに「キャリアアップ」や「昇進」の道なんて、ほとんど用意されてない。
配慮の名の下に、単純作業を延々と任され、能力を発揮する機会はゼロ。
「無理をさせない」=「責任を与えない」
「定型の人がやるべき仕事」には、最初から立ち入り禁止。
2.成長よりも、“安定”が優先される
本人が「もっとできるようになりたい」と言っても、
「そのままでいいんだよ」と優しく遮られる。
それは優しさではなく、組織のリスク回避。
「障害者枠にいる人が失敗するのは困るから」
だから、昇進も異動もスキルアップの機会も遠ざけられる。
結果として、5年いても10年いても、同じ業務、同じ評価、同じ給与。
本人の努力に関係なく、「そこに居ること」がゴールにされてしまう。
3.キャリアの梯子は最初から外されてる
同じ会社に入った健常者の同年代は、
異動でスキルを磨き、マネジメントを経験し、昇給し、上を目指していく。
一方、障害者雇用はというと――
・年収はずっと300万円以下
・役職なし、責任なし
・異動も研修もなし
・退職後の転職支援もなし
「キャリアパス?ああ、それは“健常者専用”のシステムですね」
そんな声が聞こえてくるような制度設計。
一見平等に見せかけた格差は、じわじわと当事者を追い詰めていく。
4.企業にとって“便利な枠”
企業にとって障害者雇用とは、社会的責任の履行であり、罰金回避のための装置。
本気で人材育成しよう、長期的に戦力化しようなんて思ってない。
「うちには障害者もいます!」という広報材料。
でも、彼らのスキルや希望に応えようとはしない。
「期待しないことが配慮」だと、都合よく解釈される。
5.希望を持つほど、絶望する仕組み
真面目で、努力家で、「できることを増やしたい」と願うほど、
目の前にぶら下がった“昇進”や“スキルアップ”が、手の届かない幻になる。
「枠」で守られた代わりに、「未来」を捨てさせられる。
キャリアとは、積み上げるものではなく、「最初から諦めるもの」。
本人の成長が報われない現実に、やがて心が折れる。
周囲に追いつけず、追い越され、「自分だけ取り残されている」と感じる。
6.努力の行き場が無い世界
たとえ努力してスキルを身につけても、障害者雇用の枠から出られるとは限らない。
「あなたは障害者なんだから、この仕事だけやっててくれればいい」
それが見えない壁になって、挑戦する気持ちを奪っていく。
かといって、一般枠に移ろうとすれば、
「空白期間」「年齢」「短期離職」「配慮が必要」という条件がすべて不利に働く。
まさに八方塞がり。
まとめ:この構造、誰のため?
障害者雇用という制度があることで、確かに「入口」はできた。
けれど、その中には「出口」も「階段」も「梯子」も無い。
ただ、そこに「いる」ことしか許されない。
それが現実。
社会は言う。「自分らしく働こう」と。
でも、“らしく”の範囲は最初から決められている。
一度「障害者雇用」のラベルを貼られたら、
自分の意思では動けなくなる。
そう、これはキャリアアップの話じゃない。
「キャリアを積む権利」すら、最初から配られていないという話なんだ。

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