
■【冒頭】──落ち続けて1年。今日も「お祈り」だけが届いた。
俺が就活を始めてから、もうすぐ1年になる。
届いた内定はゼロ。届いたのは定型文だけ。
「慎重に選考を重ねた結果…」「今回はご縁がなく…」「今後のご活躍をお祈り申し上げます」
メールを開くたびに、まるで俺の人生が誰かに“処理”されてるみたいな気分になる。
最初の数社までは、まだ希望があった。
「俺には特性もあるけど、強みもある」なんて無理やり言い聞かせて、職務経歴書に“自己分析”と“配慮事項”を書き連ねた。
でも、結果はずっと一緒だ。通らない。見られない。存在してない。
■【過去】──診断がついた時、やっと“理由”がわかった気がした
俺が発達障害の診断を受けたのは、大学卒業後だった。
空気が読めない、優先順位がつけられない、いつも遅刻ギリギリ――
「怠けてる」「努力不足」と言われ続けた20年間に、やっと名前がついた気がした。
最初は安心もした。だって、もう“俺だけのせいじゃなかった”から。
でもその安心はすぐに焦りに変わった。
発達障害の診断は、社会にとっては「雇いにくい人間認定」だったらしい。
就労移行支援にも通った。支援員はやさしかったし、模擬面接も何度もした。
でも現実は残酷だった。現実は、いつだって“やさしさの外”で決まる。
■【壁】──履歴書を見た瞬間に、落とされてるんだろうな
「障害者雇用」って、なんだかチャンスに見えるじゃん?
でもその枠すら、俺には“狭き門”だった。
まず求人が少ない。あっても時給900円の軽作業とか、週20時間のパート扱い。
「安定して長く働ける職場を」と言えば、「理想が高い」と笑われる。
それでも頑張って応募した。30社、50社、70社。
でも返ってくるのは「不採用」のコピペだけ。
きっと、履歴書を開いた瞬間に「あ、職歴なし」「あ、精神障害者」って判断されてるんだろうな。
中身を読む前に、存在ごとフィルタリングされてる。そう感じる回数が、だんだんと増えていった。
■【諦め】──努力が足りないって、もう何回聞いたかな
面接にすら呼ばれないと、「どうせ落ちる」って前提で生きるようになる。
SSTで練習した敬語も、職業訓練で身につけたPCスキルも、そもそも使う機会がない。
「就活を続けていれば、きっとご縁があります」
そんな励ましも、もう耳に入らなくなった。
「甘えちゃダメだよ」
「ちゃんと努力すれば道は開けるから」
「みんなつらいけど頑張ってる」
その“みんな”の中に、俺はいない。
俺がぶつかってる壁は、透明じゃない。コンクリートだ。
■【結末】──選ばれない人生にも、明日はやってくる
就職が決まらないと、社会的に「存在してない」ような気分になる。
“働いてない人”には、“語る資格”すら与えられない雰囲気がある。
支援者も、家族も、「まだ就職決まってないの?」としか言わない。
俺がどんな思いで応募して、何度落とされて、どれだけ心が削れてきたかは、
この社会のどこにもログインされていない。
支援機関の利用期間にも限界がある。
給付金も切れる。心も切れる。履歴書の空白も増える。
俺は、ただ生き延びてるだけだ。
それなのに、明日もまた「努力が足りない」と言われるのだろう。
選ばれない人生にも、朝は来る。そして誰も望んでいない夜も、確実にやってくる。

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