
──優しくされたあと、静かに居場所がなくなる
1.「相談してくれてありがとう」そのあとで急に冷たくなった
ある日、思い切って上司に話した。
「自閉スペクトラム症の特性があり、曖昧な指示や雑談中心のやりとりが苦手です。もし可能であれば、情報は書面や明確な形で共有してもらえると助かります」
上司は穏やかに頷いてくれた。
「分かった、無理しないでいいからね」
「話してくれてありがとう」
──その日は、少し救われた気がした。
けれど、翌週から空気が変わった。
急にミーティングの出席が減り、
仕事の依頼が別の人に回されるようになり、
「調整中」という言葉を理由に、新しい案件から外された。
「配慮」は、“やさしい距離のとり方”として発動していた。
でもそれは、“静かな排除”でもあった。
2.「配慮=甘やかし」だと感じる空気のなかで
昼休みに、同僚がヒソヒソ話しているのが聞こえた。
「え、あの人って障害あったの? 意外〜」
「だから最近、あんま任されてないんじゃない?」
「なんか配慮っていうか、優遇されてるよね」
──違う。優遇じゃない。
最低限、生き残るために頼んだだけだ。
それでも、「ズルしてる人」扱いされる。
“配慮”という言葉の裏側には、
「でも俺たちは我慢して働いてるけどね」
という無言の圧力がつきまとう。
誰にも迷惑をかけたくなくて、誰にも言えずに潰れていった人たちがいた。
でも、それを防ぐために声をあげた人も、
結局“異物”になっていく。
3.「特別扱いされる人」というレッテル
人事評価の面談で言われた。
「○○さんは専門的な支援が必要なこともあり、通常業務の範囲を超えた配慮をしてます」
──つまり、もう“普通の評価対象”ではないということだ。
成果ではなく、扱いやすさで評価されるようになった。
無理をしていた頃は、「がんばってる人」だったのに、
配慮を頼んだ瞬間、「手がかかる人」に格下げされる。
同じ仕事をしていても、
「どうせ配慮されてるでしょ」という目がついてまわる。
かといって、無理をすれば潰れる。
どっちを選んでも、居場所がなくなっていく。
4.配慮は“やさしさ”ではなく、“静かな分離”だった
「なるべくストレスがかからない部署に行ってもらうね」
「あなたに合った働き方を考えよう」
──そう言われて異動した先は、昇進のルートから外れた部署だった。
軽作業。単純な定型業務。相談のない静かな環境。
確かに、刺激は少ない。
けれど、成長の機会も、評価の機会も、仲間とのつながりもない。
まるで、「壊さないように棚に置かれた陶器」みたいだった。
俺が欲しかったのは、保護じゃなくて、機会の平等だった。
でもこの社会は、“配慮”という名目で、
俺を“安全な箱”に閉じ込めてきた。
5.静かに“戦力外”になっていく絶望
気づけば、俺はチームから“いないもの”として扱われていた。
困っても相談がこない。
新しい情報も届かない。
気づけば、話題にすらならない。
合理的配慮を求めただけで、
俺は“一緒に働く対象”から外れていた。
言わなきゃ壊れる。
でも言えば、外される。
──どっちを選んでも、同じ場所には戻れない。
ASDであることは、見た目ではわからない。
だからこそ、言葉にしなきゃ伝わらない。
けれど、言葉にした途端に、静かな切り捨てが始まる。
終わりに:「優しさのふりをした孤立が、いちばんきつい」
障害をカミングアウトしても、いきなり怒鳴られることはない。
差別的な言葉も、表面上は出てこない。
でも──“静かな距離”が始まる。
誰も責めてこない。
でも、誰も助けてくれない。
孤独だけが濃くなって、
気づけば、もう自分の席が“ないもの”になっている。
これが、俺たちが受ける「配慮」の正体だ。
優しさの皮をかぶった、“ゆるやかな排除”。
そして、誰にも恨むことができないその構造が、
いちばん俺たちを追い詰める。

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