
1. 「やっと最終面接まで来た」
何度も落ちた。
書類も、一次面接も、電話の対応も全部練習した。
ハローワークの職員とも何度も面談して、
「空白期間の説明」も「志望動機」も、
嫌になるほど書き直した。
ようやく、ある会社で最終面接まで行った。
「よくここまで頑張ってくれました」
「お人柄は素晴らしい」
そう言われて、
胸の奥が熱くなった。
「やっと働けるかもしれない」
親に小さく報告した。
支援員にも嬉しそうに話した。
面接帰りにコンビニで缶コーヒーを買って、
ベンチで一人祝杯をあげた。
あの日だけは、未来が見えた。
2. 「お祈りメールはあっさりだった」
結果は、数日後に届いた。
メールの件名は短かった。
「選考結果について」
本文を開いた瞬間に分かった。
「慎重に検討しましたが、今回は…」
何度も見た文面だった。
でも、今回は違った。
最終まで行った分、期待してた分、
落ちた衝撃が骨まで響いた。
「惜しかったですね」って支援員は言った。
「次はきっと大丈夫」って親は言った。
でも、その「次」って、どこだよ。
3. 「“選ばれる理由がない”と言われた気がした」
その後も、最終面接までは行けるようになった。
面接慣れもした。
質問も想定できた。
回答も滑らかになった。
笑顔も作れるようになった。
でも、通らない。
「今回はご縁がなく」
「他候補者と比較の結果」
「大変優秀な方々の中から慎重に…」
どのメールも同じだ。
全部柔らかい言葉で包んでる。
でも中身は「お前には理由がない」ってことだろ。
「わざわざ選ぶほどの価値はない」
誰も口にしないけど、画面越しに突き刺さる。
4. 「やる気は伝わる、でもそれだけ」
一次面接では褒められる。
「意欲が伝わります」
「真剣さが分かります」
「本当に頑張ってこられたんですね」
でも最終面接では、表情が変わる。
「ご自身を客観的に見たときにどう思いますか」
「長く続けられるイメージは持てますか」
「これまでどうして正社員を目指さなかったんですか」
全部穏やかな言い回しだ。
でも、最後に「お見送り」になる。
やる気だけじゃ通用しないって、何度も思い知らされる。
5. 「選んでもらえない日常が続く」
そのうち、親に報告するのもやめた。
支援員からの電話も出なくなった。
求人サイトを開くのも億劫になった。
面接に呼ばれれば行くけど、
心のどこかで「またダメだろうな」って冷めた声がする。
誰も「甘えてる」とは言わないけど、
「いつまでも決まらないのは何かあるんだろうね」って目をしてる。
俺だって分かってる。
若さも経験も、もう売れるものがない。
6. 「希望を持つのが一番の負担」
あの最終面接まで行った時の期待を思い出すたび、
自分をぶん殴りたくなる。
信じたからこそ折れた。
希望を持たなければ、こんなに痛くはなかった。
今は、書類を送るたびに「どうせ落ちる」って思う。
面接を受けるたびに「不採用をもらいに来た」って思う。
でも、やめたら死ぬだけだからやってる。
ただの生存活動だ。
7. 「どこにも行けないまま、今日も生きてる」
最終面接まで行ける人だって言われた。
本当にそうだったのかもしれない。
でも、最終で落ちるなら意味がない。
ゴールじゃない。
誰もはっきりとは言わないけど、
「もういい加減、諦めろ」って社会が囁いてる気がする。
でも諦めても、食えない。
働くしかない。
選ばれないのに、選ぶ自由もない。
今日も求人を眺める。
どこにも行けないのに、
どこかに行かなくちゃいけない。
それが俺の日常だ。
8. 「繰り返すたびに自分の価値が薄れていく」
最終面接に行けるくらい、
「やる気がある」「真面目そう」「人柄はいい」
そう言ってもらえるのは最初だけだった。
同じことを5社、10社、15社と繰り返すうちに、
自分の中でそれが褒め言葉じゃなくなった。
「つまり中身がないってことだろ」
「実績もスキルも、決め手が何もないってことだ」
選考が進むたびに、期待はする。
「今度こそ」ってなる。
でもその分、落ちた時の落差がえぐい。
心がどんどん荒んでいくのが分かった。
9. 「周りの言葉も変わっていく」
最初は支援員も親も優しかった。
「惜しかったね」
「頑張ってる証拠だよ」
「次はきっと」
でも回数を重ねるごとに声が小さくなる。
「他も考えようか」
「長期の仕事にこだわらなくても…」
「どこか合う場所、探さないとね」
あからさまな責め言葉じゃない。
でも分かる。
「もう無理なんじゃない?」って意味だ。
10. 「面接慣れはする。でも受からない」
最終面接の場数は増えた。
緊張は減った。
答え方も上手くなった。
相手の質問の意図も読めるようになった。
でも、通らない。
もう演技してるみたいだった。
「働きたい」「頑張りたい」
それを言うたびに、自分で自分が嘘くさく思えた。
「こんなに受からない奴が、どの口で言ってんだ」って
心の中で吐き捨てたくなった。
11. 「いつの間にか求人を開くのも怖くなる」
求人サイトを開けなくなった。
履歴書のテンプレートを開くのも億劫になった。
ハローワークの予約もキャンセルした。
最終面接まで行けるって分かってるのに、
どうせ最後で落とされるって確信もある。
「面接慣れ」じゃなく「落とされ慣れ」だ。
もう期待するのが怖い。
受けるたびに自尊心が削れる。
断られるたびに、自分が社会から薄く消えていく感覚。
12. 「社会が俺を要らないという現実」
誰も「出て行け」とは言わない。
でも「いてもいいよ」とも言ってくれない。
求人票には「未経験歓迎」って書いてあるのに、
最終面接で「やっぱり他の人で」ってなる。
それが何度も何度も続くと、
「ああ、もう社会に俺の席はないんだな」って
自分でも認めざるを得なくなる。
13. 「終わりのない活動を終わらせたくなる」
最近は、
「働きたい」って言葉を発するのも辛い。
「働ける場所を探してる」って言うたびに
笑われてるような気がする。
もういいかなって思った。
働かないって決めたわけじゃない。
探すのをやめただけ。
続ける理由を失った。
14. 「最後に」
もし読んでるお前が、
「俺も最終面接で何度も落ちた」って思ってるなら、
分かる。
分かりすぎる。
最終まで行ける人間って、
期待させられる分、ダメだった時の絶望が深い。
「ここまで来たのに何がダメなんだろう」って
自分をどんどん疑うようになる。
最終面接を何度も経験した結果、
俺はもう求人票を開けなくなった。
期待することが、最大の負担だった。
だからもう期待しない。
それが今の俺の、唯一の生き方だ。
15. 「求人を開かなくなった生活」
求人票を見なくなったら、
時間が止まったみたいだった。
ハローワークのパスワードも忘れた。
履歴書用の写真も、もう期限切れだ。
ノートパソコンを開いても、
求人サイトのタブは閉じたまま。
「もう疲れたんだな」って思った。
自分で自分に諦めの許可を出した。
16. 「支援を受けるハードルの高さ」
何度も言われた。
「生活保護を視野に入れよう」
「就労支援にもう一度通いましょう」
でも行けなかった。
恥ずかしかったんじゃない。
説明するのが辛かった。
「なんで働けないの?」って空気に耐えられなかった。
支援者は責めない。
でも優しさの中に、微細な絶望が見える。
「この人も、もう詰んでるのかも」
そんな目を感じるたびに、心が潰れた。
17. 「比較地獄」
ニュースを見ると、同年代は「働き盛り」って言われてた。
SNSを開くと、子供の写真や家を建てた報告が流れる。
「頑張ってきた結果」なんだろうな。
それは否定しない。
でも俺は?
「頑張ってきたつもり」だったのに、
何も手に入らなかった。
「つもり」じゃ足りなかったんだろうなって
分かってるけど、もう直し方も分からない。
努力の仕方すら忘れた。
18. 「働く以外に選択肢がないのに」
働かない選択肢があれば楽だ。
でも生活費は必要だし、
親は年金暮らしだし、
支援を受けたら「働けない人」になる。
「働けないなら福祉があるじゃん」
そういう意見も知ってる。
でも現実には、
そこに行くまでの説明責任が重い。
「なぜ働けないのか」
「どんな病歴があるのか」
「診断書は?」
面接より厳しい。
19. 「もう誰にも話したくない」
面接は落ちても
「また受ければいい」と言えた。
でも受ける気力を失うと、
もう何も話したくなくなった。
親にも支援員にも、
「探してる」としか言えない。
本当は探してないのに。
見つける気もなくなったのに。
正直に言ったら、
「それじゃダメだよ」って言われるだろうから。
責めるつもりはないのも分かるけど、
その言葉で息が止まるのが分かってるから。
20. 「未来を想像しない」
今はもう、
働く自分を想像できない。
働けない自分も想像したくない。
未来を考えると吐き気がする。
何歳まで親が生きるか。
自分の寿命はどれくらいか。
お金が尽きたらどうするのか。
考えれば考えるほど、
真っ黒な沼に引きずり込まれる。
だから何も考えないようにしてる。
それが唯一の防衛だ。
21. 「終わりのない待機」
最終面接まで行ける人だった。
「惜しい人材」って言われた。
「もう一歩」だって。
その「もう一歩」が、一生埋まらなかった。
結局は選ばれなかった人間だ。
未経験歓迎も、ポテンシャル採用も、
年齢と履歴で消えていった。
そして今、
誰も呼んでくれないのに、
待つしかない。
受けるしかない。
働ける場所を探す以外、
生きる理由がないのに。
でも探す力もなくなった。

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