
1. 「就労移行支援、という“就活予備校”で」
就労移行支援――名前は立派だけど、実態は“障害者の就活予備校”。
定員に対して、配置される支援員は少ない。
その中で、誰にどれだけの支援を注ぐか。結局それは“見込み”と“支援しがい”で決まる。
「この子は面接もハキハキしてて伸びそうだね」
「この方は企業からも好印象です」
そんな言葉が会議室で飛び交い、そこで誰かが“推薦枠”に乗る。
その裏で、俺みたいな“伸びしろの見えないやつ”は、静かに優先順位を落とされていく。
2. 「個別支援計画?どれも同じテンプレ」
「君の強みってなんだと思う?」
「もっと自己理解を深めよう」
「適職を見つけるために、自分のことを言語化しようね」
……そう言われても、そもそも自分の強みが何か分からない。
できることなんて、Excelの四則演算とコピペと、あいさつくらい。
でもそれじゃ戦えないって分かってる。
それを正直に言うと、「そういう気持ちも大切ですね」とメモだけ取って終わり。
そのあとは何も変わらない。
横を見れば、「うちのエースです」と紹介されてる利用者が、企業実習に呼ばれていく。
自分は、黙って清掃実習のリストに入れられてた。
3. 「見た目・話し方・IQ・親のサポート」
結局、“人として整ってるか”が評価基準になる。
見た目が清潔で、話し方もハキハキしてて、IQも平均以上。
親も協力的で、履歴書の添削を一緒にやってくれるような子。
そういう“仕上がってる障害者”は、支援員も積極的に動く。
企業実習、模擬面接、支援機関との連携……全部スムーズ。
でも、俺は違う。
字が汚い、話も詰まる、親は「いつまで支援受けるの?」と圧をかけてくる。
支援員との会話も、いつも事務的。
「焦らずいきましょう」って言葉の奥に、“君は厳しい”という諦めが透けて見える。
4. 「支援が受けられる人と、支援が“見捨てる”人」
支援って、みんなに平等にあるもんだと思ってた。
でも違った。
就労実績があって、スキルもあって、障害も“軽め”で、家族も協力的な人は、
手厚い支援を受けて、正社員にもなって、インタビュー記事にも出てる。
こっちは、週5日通っても、面接すら紹介されない。
「今はタイミングが悪くて…」「まず生活リズムの安定から」
言い方は丁寧だけど、それって「君にはチャンスはない」ってことだろ?
同じ空間にいるのに、目に見えない格差が、確かにある。
“選ばれる障害者”と“そうじゃない障害者”。
俺は後者だった。
5. 「この支援は、誰のため?」
「支援者の限界です」って、よく言われる。
でもその“限界”の中で誰を助けるかって、結局「成果が出る人」に偏る。
“成果”が出ないやつは、支援の場で「自己責任」を突きつけられる。
“自己理解が足りない”
“努力が必要”
“気持ちを整えて”
……どれもきれいな言葉だけど、要は“自分でなんとかしろ”ってことだ。
支援を受けるために必要なのは、支援を受ける「能力」。
それがない奴は、静かに、フェードアウトしていく。
通所を減らし、モチベが落ちて、いつの間にか姿を消す。
「残念だけど…」と言われて。
支援って、みんなにあると思ってた。
でも、“助けられる器”がなければ、支援は遠ざかっていく。
支援の格差は、“俺の器”の限界を、冷たく教えてくれる。

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