A型作業所に通う発達障害者の生きづらさ

看護

1. 「就職を諦めたわけじゃない。でも現実はA型」

俺は発達障害だ。
診断名も付いた。
就労移行にも通った。
面接も何度も受けた。

でも、結果は全部不採用。
支援員もハローワークも「次があるよ」とは言ってくれたけど、
心のどこかで「もうA型しかないね」って空気を出してた。

就職を諦めたつもりはない。
でも、食ってくためにはどこかで働かないといけない。
そこで紹介されたのがA型作業所だった。


2. 「“一般就労へのステップ”という建前」

A型は「一般就労への移行を目指す場」だって言われた。
書類にもそう書いてある。
面談でも「移行率を上げたい」と支援員は言っていた。

でも、実態は全然違った。
通ってる人の多くは、もう何年もA型にいる。
「俺も結局こうなるのかな」と思った。

作業内容は単純。
清掃、袋詰め、シール貼り、
とにかく誰でもできる仕事。
いや、誰でもできるように設計されてる。
「ミスしやすい自分でもできる」安心感はある。
でも、そこに「成長」はなかった。


3. 「安い工賃と“障害者枠の労働力”扱い」

給料は最低賃金。
いや、時給は最低賃金だけど、シフトが短いから実質的な月収は手取り6〜8万くらい。
「働けてるだけマシ」って言われるけど、
これでどうやって自立しろっていうんだ。

俺たちがいなきゃ回らない作業もある。
でも会社にとっては「補助金が出る安い労働力」だ。
制度的にそうできている。

障害者雇用率を達成したい企業が受託した仕事を回してくる。
A型の職員も「企業からの仕事を切らせないように」必死だ。
「就労移行の練習」なんかじゃなく、
「安く受注するためのライン工」なんだよ、実態は。


4. 「支援者は優しいけど、絶望も知ってる」

職員は優しい人も多い。
叱らないように配慮もしてくれる。
予定も調整してくれる。

でも、その優しさが痛い。
「一般就労を目指しましょう」って言いながら、
本心では「無理だろうな」って分かってる顔をしている。

「ここにずっといてもいいんですよ」
「それも一つの選択です」
その言葉に安心してしまう自分もいる。
でも、それを受け入れたら終わりだって自分も分かってる。

通所してる他の人たちを見てると、
何年も通ってる人ばかりだ。
俺もああなるのかな、って思うと
どんどん未来が狭くなる。


5. 「就職面談の茶番」

一応、就職面談はある。
「希望はありますか?」
「どんな仕事を目指しますか?」
書類も書く。

でも企業見学に行っても
「障害特性を理解してもらう」って言いながら、
先方の顔色をうかがうだけ。
ちょっとでも「この特性は難しいですね」って言われたら、
その場で終わり。

面接すらたどり着かない。
「合理的配慮」とか言うけど、
「配慮が必要な人は要らない」っていう企業も山ほどある。
わかってる。
支援者もそれを分かってるから、
無理には勧めない。
それが優しさだって分かるけど、
地獄みたいな優しさだ。


6. 「通う理由は“他に行く場所がない”」

A型に通うのは、
金が欲しいのもあるけど、
実際は「他に行く場所がない」からだ。

家にいても親と喧嘩する。
バイトも無理だった。
就職も全部落ちた。
居場所がないから通ってる。
「社会と繋がってる感覚」を得るために通ってる。

でも、「社会」と言うには隔離されてる。
健常者の同僚はいない。
昇進もない。
転職のキャリアにもならない。


7. 「未来がないとわかってても、通うしかない」

いつか就職したい。
生活保護にはなりたくない。
親もいつまでもいない。
頭では分かってる。

でもA型をやめたら、
もう次はどこにも行けない気がする。
正社員なんて夢のまた夢だ。
パートですら採用されなかった俺が、
どこで必要とされる?

職員は「ステップアップを目指そう」と言うけど、
そのステップがないのを全員知ってる。
みんな黙ってるだけだ。


8. 「それでも」

A型作業所は、
居場所がなくなった俺を拾ってくれた場所だ。
それは事実だし、感謝もしてる。

でも、ここにずっといることが「ゴール」だなんて、
心のどこかでどうしても飲み込めない。
このまま歳を取って、
「元A型の50代」として死ぬ未来を
ぼんやりと想像してしまう。

それでも明日も行く。
行かないと、
「社会」から完全に落ちてしまう気がするから。

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