
1. “障害者雇用で落ちたなら、一般で頑張るしかない”と思ってた
障害者雇用の面接に何社も落ちて、「あなたの特性には合わない業務です」とか、「配慮が難しい職場でして」とか、そんなのばっかり言われて。
配慮を求めすぎたのか? それとも、俺の障害が“重すぎた”のか?
結局、働く場所なんて選んでる余裕なかった。
年金もない。貯金も尽きかけてる。じゃあもう──普通に働くしかないだろ。
それが、間違いの始まりだった。
履歴書には何も書かなかった。診断名も、合理的配慮も、全部封印。
「普通にできます」って顔して、一般枠の求人に応募した。
採用された。試用期間3ヶ月。
最初の1週間だけ、「親切そうな職場」だった。
2. 教えてもらってないことを、やらなかった俺が悪いらしい
2週目から空気が変わった。
「もうそろそろ覚えてくださいね」
「前にも言いましたよね?」
「そういうの、自分でメモ取っておかないと」
いや、聞いてないことばっかりだし、言われたとしても、情報が一度に多すぎて覚えられない。
でも、そんなの“俺の事情”であって、会社から見れば「物覚えが悪い新人」にすぎない。
手順は口頭で次々に降ってくる。マニュアルはあってないようなもの。
聞き返すと嫌な顔をされる。沈黙しても怒られる。
じゃあ、どうすれば良かったんだ?──って考えてるうちに、頭が止まる。言葉が出なくなる。
その瞬間を見逃さないように、上司が言う。
「やる気あります?」
違うんだよ。やる気だけでどうにかなる脳みそだったら、俺だってこんな苦労してない。
3. “報連相ができない人”ってレッテルは、一瞬で貼られる
相談しようとしたこともあった。でも、うまく言葉にならなかった。
「何を困ってるのか、はっきり言って」と言われて黙る。
考えがまとまらない時は、頭の中が真っ白になる。
そんな自分を見て、周りはどう思うか──簡単だ。「報連相ができない人」。それだけ。
誰も「この人には認知の特性があるのかも」なんて思わない。
そして、俺もそれを言えない。
言ったら終わる気がした。
“そんな人、採用した覚えはない”って顔をされる気がして。
だから、黙って潰れた。
4. 「もう辞めると思ってましたよ」の一言が止めだった
3ヶ月の試用期間の終わりに呼び出された。
「最近、元気ないですね」「何か困ってること、あります?」
あったよ。たくさん。全部。
でも何も言えなかった。
俺が黙ってると、上司が笑って言った。
「正直、もう辞めると思ってましたよ」
その言葉が、止めになった。
「この人はもうダメだろうな」って見られてたのか。
最初から、そういう“判定期間”だったのか。
俺の3ヶ月は、ただの“見極め”だったんだな。
5. メンタル壊して、ようやく“配慮が必要だった人”になった
その日の帰り道、涙が止まらなかった。
家に帰っても息が苦しくて、布団の中から出られなかった。
メンタル、壊れてた。
病院で「うつ状態ですね」と言われた。
その瞬間、医者は「あなたは働ける状態じゃなかったんですよ」って言った。
──じゃあ、なぜ働かざるを得なかったんだろう。
──じゃあ、誰がその状態を止めてくれたんだろう。
──じゃあ、あの“試用期間”は何だったんだろう。
わかってる。社会は、壊れてからじゃないと気づかない。
「配慮してくれ」って言えるのは、メンタルを壊して証拠を出せる人だけなんだ。
壊れた後にやっと、障害者としてカウントされる。
でも壊れる前に言えば、「だったら採用しなかった」になる。
だったらさ、
俺たちは、どこでどうすれば良かったんだ?
終わりに:試用期間とは「健常者を演じきれるかの試験」だった
世間は言う。「まずは一般で頑張ってみたら?」
会社は言う。「困ったら早めに相談してね」
支援者は言う。「無理せず、自分に合った職場を探そう」
全部、嘘だった。
現場は、「困る前に成果を出せ」と言ってきた。
面接は、「困るような人はいらない」と言ってきた。
制度は、「壊れてからじゃないと助けてくれない」と言ってきた。
──俺が壊れたのは、甘えでも努力不足でもなかった。
ただ、壊れないと証明できない世界に、試用されただけだった。

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