
俺の履歴書には、
きれいな空白が広がっている。
「職歴」欄──何度書きかけて、何度ため息をついたことか。
バイト歴を書いても、派遣歴を書いても、
それは「職歴」としては、カウントされないらしい。
「職歴なし」──それはもう、社会における“詰み”の札だ。
就職活動をすればするほど、それがわかる。
エントリーシートを送っても、返事すら来ない。
面接に進んでも、「正社員の経験は……?」と問われて、
その一言で、戦線離脱。退場。
■ 「詰んだ」なんて、誰にも教えてもらえなかった
10代、20代、何がやりたいかもわからずに、
とりあえず日銭を稼いで、生きていた。
時給850円のコンビニ、夜の清掃バイト、イベントスタッフ。
どこも忙しくて、どこも人手不足だった。
「今はとりあえずこれで食いつなごう」
そうして数年。
ふと気づいたら、履歴書に書けるものが、なかった。
誰も言ってくれなかった。
「正社員経験がないまま30代に突入すると、
お前は“職歴ナシ”という社会的レッテルを貼られるぞ」って。
ゲームなら、せめて“警告”くらい出してくれただろうに。
■ 「やる気があるならどこでも採用される」は幻想だった
ハローワークの職員は言う。
「今、人手不足ですからね。やる気さえあれば」
求人サイトは言う。
「未経験歓迎!」「学歴不問!」「誰でも活躍できる!」
でも現実は──
履歴書に「職歴なし」と書いた瞬間、
その“未経験歓迎”の扉は、そっと閉じられる。
誰も本気で“未経験者”を歓迎してなんかいない。
本音は「未経験だけど、ポテンシャルがありそうな若者」だけを求めている。
30代、40代、職歴なし。
このカードは、ただの“負債”としか見られない。
■ 「職歴なし」は“無能”の証明書ではない
働いていなかったわけじゃない。
生活のために、誰にも知られず必死にやってきた。
でもそれは、“評価対象”にはならない。
社会が求めるのは「実績」だ。
どんなに他人のために尽くしても、
記録に残らなければ“無”とされる。
誰の助けにもなっていないと判断される。
バイトは労働じゃないのか?
介護をしていた時間は“空白”なのか?
病気と闘っていた数年間も“ブランク”なのか?
生き延びてきた事実そのものを、
どうして誰も“価値”として認めないのか。
■ 最後に:履歴書の余白は、俺の“闘ってきた証”だ
「職歴なし」とは、敗北ではない。
それは、“あらゆる場所で見捨てられ、それでも生き抜いた人間の履歴”だ。
社会が振り返らない場所で、
今日も一人、履歴書に書けない人生を生きている人がいる。
もし、この白紙の職歴欄に、
「戦った」「逃げた」「生き延びた」と書けるのなら、
俺は胸を張って提出できる。
次に面接官が「職歴は?」と聞いたとき、
笑って言ってやろうか。
「ええ、ありません。でも、
この社会の下層で、
誰にも評価されず、誰にも守られず、
ちゃんと生きてきましたよ」と。

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